Monday, October 11, 2010

真光の祖師岡田光玉と『マンナの壷』- 2 (Okada & the Manna pot - 2)

『神向き讃詞解説』の次の箇所でも岡田光玉はマナの壷に言及しています。


  私は初め、「エイーエ・アシエル・エイーエ」というのは、「在りて有るもの」という意味の神代文字かと思って調べたのですが、そうではなく、ヘブライ語を研究してみたところ、これは天地創造の神を表した数霊であることがわかりました。

   この文字を数霊でみますと、「一・五・十・五・一・二十一・二十・一・五・十・五」となります。このことを、宗教学者や神学者に聞いてみてもわかりませ ん。そしてこの文字は、伊勢神宮の外宮の御神体であるマンナの壷の裏にも書いてありますし、また、ヤタの鏡(八咫鏡)の裏にも書かれています。

  これは秘密になっていて、天皇*様以外たとえ皇太子様でもご覧になれません。それを、森有礼が見たというので、不敬だといって刺客にあって暗殺されたのです。  ーー『神向き讃詞解説』p440   *「スメラミコト」とフリガナ


調べた

光玉の「調べた」というのはどのように、どの程度調べたのか不明です。光玉の時代にはインターネットなどなかったし(光玉はその予知すらできなかった)、彼は事実に基づいた真理追究には関心がなかったようだし、妄想とも言える真光ファンタジーを作り上げ、その中に君臨して、『み教え』と称し、自分の偏った見方を信者に説いていました。「日本が一番古い文明国」との説に出会えば、スの神が自分を導いて教えてくれているのだと解釈していった人間です。

ヘブライ語を研究してみた

真光信者は光玉の期待通りにその言葉を受け取って、「すごい!救い主様はヘブライ語も知っているんだ」と感嘆するのでしょうが、実際には、これもあてにならない言い回しです。辞書を片手に、専門書を幾冊も読んでこの言語を研究したのか、と問いたくなります。一体どうやったら、ヘブライ語から、光玉の示す数字の羅列が出てくるのでしょうか。殆どの人がヘブライ語を知らないのをいいことに、勝手なことを言って煙に巻いていると考えられませんか。

数霊であることがわかりました

「〜 ことがわかりました」といった類いの光玉の弁も、実にあてにならない表現です。客観的に言えば、自分勝手な結論に達した、ということでしょう。彼の言う『数霊』とやらも、勝手に数を弄んでいるだけではないでしょうか。光玉の数字の弄びの一例として、下記『〔注1〕』に、ほんの一部ですが、光玉の教えを紹介しておきます。

宗教学者や神学者に聞いてみてもわかりません

『天地創造の神の地上代行者である自分だからこそわかるのだ』と光玉は言いたいのでしょう。真光のマインド・コントロールに乗っかってしまっている信者は、光玉のこの意を受け取って、「さすが天地創造の神の地上代行者、人の知らない秘儀を知っているのだ」と感嘆してしまいます。

しかしながら、真光の外の者にとっては、これは要するに「自分の独りよがりな解釈である」と光玉が言っているのも同然でしょう。

伊勢神宮の外宮の御神体であるマンナの壷

繰り返しておきます。伊勢神宮でこんなことは言っていません。一部の人の間で噂になっていますが、一種のファンタジーです。光玉はファンタジーと現実の事実との区別が付かなくなっているのでしょう。

◆ヤタの鏡  

この鏡は、日本神話に出て来る鏡の話と関連付けられています。この『御神体』にはストーリーがあるということです。実物は誰も見たことがなく、推測・憶測があるのみです。明治天皇が見て、奥深くにしまった、とは言われますが、昭和天皇さえも見たことがないということです。 〔注2〕 誰それが裏に書いてある文字を見た、とか、そういう話を聞いた、との噂は一部の人々の間に執拗に囁かれて来ていますが、マナの金の壷と同様、現物の提示もないのに、裏に文字が書かれているかどうかなど、確認しようがありません。しかし光玉は自分の目で確かめたかのように断定しています。確認しようがないこと、怪しいと思われて当然のことを事実として扱うというのも、光玉の説く教えの特徴です。

秘密になっていて

「秘密になっているのならどうしてこんなことがわかる?」と疑問になりませんか。人は「秘密になっている」と聞くと、耳をそばだてる心理を利用しています。秘密を知る特権を得たように感じてしまうかもしれません。また、秘密になっているのなら、一般の人は知らない、一般の人は知らないのだから、本当かどうか議論したところで仕方ない、という気持ちも働くでしょう。『秘密』という言葉で人の気を引き、『神の地上代行者』である自分は『天地創造の神』と通じていて、人の知らないこと、秘密まで明確に知っているのだ、と信者に印象付けたかったのでしょう。

『神の地上代行者』で、神と通じていて『神理』を知っているはずの者が、「〜だそうだ/〜だと言われている/〜ではないかと言われている」等と言っていたのでは、他人の説や噂話を利用しているだけで、結局わかっていない、つまり、『天地創造の神』と通じているわけではないことになりませんか。

森有礼

森有礼(1847〜1889)は初代文部大臣でした。国粋主義者に殺されたのは事実です。暗殺の二年前に伊勢神宮を訪問したことも事実です。しかしながら、「天皇以外には見られない八咫の鏡を見たから殺された」というのは、センセーショナルですが、事実とは言えません。

「ある大臣が伊勢神宮を訪問の際、社殿にあった簾をステッキで開け、中を覗いた」と報じた新聞があり、その大臣は森であるとされ、大きな問題になったというこ とです。「この事件は事実かどうか定かではない」とする記述もあれば、「神官のでっち上げの可能性さえある」と述べる資料もあります。〔注3〕 信憑性が高いと思われる証言を二件挙げておきます。

(1)同行の森有礼の秘書官木場貞長が、その著書の中で、そのようなことはなく、無事訪問を終えた、と話している。〔注4〕
(2)当時その『不敬事件』を知る伊勢神宮宮司でさえ、そのようなことはなかった、と言っている。〔注5〕

「ステッキで簾を開けた」というのは「誤報」と明確に記述がある資料もあります。〔注6〕この「誤報」が後になって変形し、『天皇以外には見られないヤタの鏡 を見た』と、更に屈折した話になったと見てよいでしょう。光玉は現実の事実から更に遠のいた話を事実として信者に話していることになります。

A.  テベーツィス著の『探し求めた答えはここに』(p378)〔注7〕の中には次の文が見られます。

・・・  明治時代に、森有礼文部大臣という人がいました。この人はヘブライ語を含む五カ国語に通暁していたのですが、伊勢皇太神宮にある聖なる鏡(八咫鏡)の裏に刻まれた文字の語源は、ヘブライ語だと断定しました。このため森氏は、冒瀆の言を吐いたとして宮司の甥に殺されてしまいました。

著者は「真光オーストラリア地域での責任者」と本で紹介されています。真光上級幹部で、真光を信じ、手をかざし、真光の教祖の言を『神理』であるとして熱心に信じた人です。「キリストは十字架上で死なず、日本に来て、日本で死んだ」との光玉の教えを信じて、他の真光信者を引率して、少なくとも2回は『イエスの墓』があるとされる青森の地を訪れました。『探し求めた答えはここに』で、キリストに関するそのような光玉の教えを基に話を展開し、一つの章を充てていました。英語版でも同様でしたが、1990年版では丸ごと削除されていることが確認されています。その後、真光が豪州の新聞に取り上げられて問題にされると、「イエスが日本に埋葬されているかどうかわからない」と言葉を濁しました。

岡田晃弥(手島泰六)とても同じです。「イエスは日本に来て日本で一生を終えた」と、中級・上級研修で光玉の教えを聞き、『歴史上の事実』を知った、との熱い思いで、青森 を二度訪れたことを1969年の真光誌に報告しています。しかし、2005年には「・・・それ故、イエス・キリストは十字架から逃れていたのではないか。イエスの身代わりとなって死んだのは弟ではなかったかともいわれています。死と復活の真相は今も謎に包まれています」とぼやかしています。

より詳しくは『真光の世界とは—その2』を参照して下さい。〔注8〕

森有礼暗殺事件に戻ります。暗殺の理由として、ここに挙げただけでも、三つの説が出てきました。

(a)伊勢神宮を訪問の際、社殿にあった簾をステッキで開け、中を覗いたから。 (ある新聞の誤報)
(b)天皇以外には見られない八咫の鏡を見たから。  (『神向き讃詞解説』における光玉の陳述)
(c)伊勢神宮にある八咫鏡の裏に刻まれた文字の語源は、ヘブライ語だと断定したから。(オーストラリア真光上級幹部の陳述)


「佐伯好朗博士と『日ユ同祖』論」の「(注)八咫の鏡について」を見て下さい。〔注9〕そこには、森の暗殺された理由として、さらに幾つかの話が紹介されています。森が暗殺されたのは、直接的には(a)の新聞記事のせいです。かねてより森に反発していた守旧派は事実無根のこの記事を鵜呑みにして激怒したという ことです。暗殺者の遺書にあったのも、この新聞記事で報道された出来事への怒りでした。結論は「森有礼が暗殺されたのは八咫の鏡とは無関係」とのことです。

そもそも、天皇以外には見られないとされる代物を誰それが見た、という話も変だし、そのような代物が直に飾られていて、簾をステッキで開け、中を覗いたら見えた、とするのも変なことです。ましてや、中を覗いただけで、『鏡』 ーそれが実際に何であれー 飾られたその物体の裏が見えるものでしょうか。「誰も見たことがない」「天皇以外には見られない」ということは、「誰それが見た」という話(森が神職に強要して、鏡を見た、との話さえある)は噂の域を出ず、事実無根である可能性が限りなく高いのです。『裏にヘブライ語が書かれている』との話は、先ず『鏡』が公開され、公に検証されてからのことであって、それまでは単なる架空の話に留まるべきでしょう。もっとも伊勢神宮ではそのようなことは全く言ってないのですから、一部の人々の噂話のために、昔ながらの神秘の衣を捨てて公開するとは思えませんが。

新聞の誤報がきっかけとなり、殺人が行われた、というのも怖い話です。そういう凶行に走る国粋主義者の存在も怖いと言えます。こういった事件は『神秘的』ではありませんし、神秘的要素を絡ませるべきことでもありません。それなのに、神話と関連付けられる『八咫の鏡』がいつの間にか絡んで、暗殺事件の理由に仕立て上げられてしまいました。このように屈折した噂話が、真光では紛れもない事実として提示されています。

その真光の中でも、少なくとも二つの説、(b) (c)が見られます。この二説は八咫の鏡が共通していますが、それぞれ強調点の違う、異なった話になっています。が、どちらも事実として述べられていま す。これは、光玉を信じた真光上級幹部が、光玉に倣って、噂を追い求めて、別の噂に出会ったのでしょうか。それとも光玉が別の所では(c)と言っていたのでしょうか。いずれにしろ、実際の事件は八咫の鏡と無関係ということです。

光玉の話は現実世界の事実を話しているように聞こえても、実際の現実とはズレがあったり、明らかに現実の事実と反していたりします。嘘も作り話も怪しい噂もファンタジーの類もさらには妄想の類も沢山見られます。それらが巧妙に事実の片鱗と混じっていることもありますし、事実かどうか確かめようのないものもあります。しかし、都合の悪い光玉の教えが隠蔽されたり、改竄されたりしているということは、光玉が『人類の師』でもなければ、その説くことが『金口の教え』でもなかったということです。ましてや真光が『人類の宗教で最高の教え』であるという光玉及びその真光の主張は妄想以外の何ものでもありません。



〔注1〕昭和四十一年三月度月始祭教示『富士山と飛行機事故』ーー『日航123便墜落事故と真光』(http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3760/1100318036/)53より。

    また数霊のほうを見て参りますと727型ですから、7+7=14で、(この場合の二は上と下の数をつなぐ意)十四は破れ割れの数霊になっています。また十四は1+4で五の数霊となり、霊によって破れるということです。
    そして、亡くなったかたの人数が、奇しくも一二四名で(二はここでも一と四をつなぐ意)これも一+四=五の数霊となっており、しかも日本人が十三名ですから、一+三=四で、四はシで死にも通じる。

〔注2〕●八咫鏡ーWikipedia 参照。
●「佐伯好朗博士と『日ユ同祖』論」(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/jud.html)、(注)の内、マーヴィン・トケイヤー氏の記述参照。

〔注3〕例;
●森有礼ーWikipedia。
●「発見記録: オオイ・カンタロウの謎森本貞子『秋霖譜―森有礼とその妻』」
●「森有礼(24)ー宗史郎の日記」

〔注4〕「森有礼氏の不敬事件に付いて、・・・」 (http://q.hatena.ne.jp/1098877714)参照。
〔注5〕「カーリル|秋霖譜ー森有礼とその妻」(http://calil.jp/book/4487797128)参照。

〔注6〕例;「森有礼の人間像」(http://jfn.josuikai.net/nendokai/dec-club/kouhai/Moriyurei.htm

〔注7〕『崇教真光・探し求めた答えはここに』第五版、1988年、A.K. Tebecis

〔注8〕「真光の世界とは—その2」(2007/02) 

〔注9〕「佐伯好朗博士と『日ユ同祖』論」(http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/jud.html)参照。


ーー火の鳥Phoenix3000

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