Tuesday, April 19, 2011

世界本山建設 〜 光玉曰く、「神が神殿建設を請求」(Building the World Shrine ~ Okada said, "God has demanded His Shrine built.")

ネットに代理(当時)の教示の一部と思われる引用と、それに対するコメントがありました。


平成16年10月号p34 ・・・ 陽光子乃友待望の「世界総本山」建立をはじめ、「光神殿」「光記念館」「真光青年会館」の〜四大聖業〜を達成させていただきましたことは、真に総てが神仕組みの賜物であり、主の大御神様、救い主さまの御守護に対し奉り、感謝の真を捧げずにはおられません。 ・・・・ 勝手に建てる計画をしたくせに陽光子乃友待望とは。信者が望んだ形にしたいのね。あんな維持費の掛かる成金趣味の建物ばかり建てて四大聖業とは。しかも感謝の真を捧げずにはおられません、とは何の事?お代理は祈るだけだろうが一般組み手にはご奉納(お金)を捧げろと言う事か!本当にふざけた崇教だわ。  ーーここが変!真光の本!−真光被害者の会;245 


ここに挙げられた四つの建物は、教え主(あるいは代理)に代表される教団が勝手に建てることにしたもの、それを信者(『(神)組み手』『陽光子』『陽光子の友』等)が待望した、と押し付けがましく代理が言っている、というものです。真光をやっていた時こうした事実ではないことを恩着せがましく押し付けられると、『み教え』といえども、「何それ?!」と、心の隅で思ったことを覚えています。「私達が待望したって?そんな覚えはないけど ...周りの組み手だって、待ち望んでいる声なんて聞かなかったが ...」というわけです。しかしそういうことは周りの『組み手』に言える状態ではありませんでしたし、誰も疑問を口にすることはありませんでした。「教え主に一体化しろということだから、教え主の望むことは私達の望むことでもあると思わなくちゃならないのだ」と自分達に言い聞かせていたのかもしれません。もっとひどいのになると「私達が待ち望んだのか、ふうん、そうだったのか」とぼんやりと引きずられていたのでしょうか。

もう一つ、これらの建物の建設を『聖業』と表現していることは、真光にとって、言葉というものがいかに便利なものであるかの見本でしょう。真光では教団が『聖』という文字を使えば、真光信者はそのまま「聖なるもの」として受け止めてしまうという単純思考回路が出来上がっているようです。「そうか、聖なる業なのだから、神様の意にかなっているのだ」と信者はたわいもなく誘導されてしまうので す。 

「世界総本山(ス座)」は光玉が勝手に建てる計画をしたのであって、信者が望んだわけではありません。むろん、光玉は「自分がそうすることにした」とは言わず、「神が要求して来た」と主張しています。「神が要求してきた」と光玉が言うままに、そうなのだと真光信者は信じたのです。しかしながら、「神が光玉に要求してきた」ということはだれにも確認できません。真光の外の現実世界から見れば、光玉の作り話だったのかもしれませんし、妄想だったのかもしれません。実際にはそんなことはなかったのであれば「神が要求してきた」というのは光玉による「神」の利用との解釈さえ成り立ちます。つまり、神の名の下に自分の願望を表明したということです。光玉説くところの「スの神」というのは、光玉によって描かれた神であり、光玉は自分をその神の「地上代行者」であると称し、神の代弁者にして、自分の言うことは神の言うことであるとしたのですから、結局のところ、神殿建設企画は光玉から出ていると言っていいでしょう。

次の光玉の弁は、「神」を持ち出していますが、神殿建設が光玉から出発していることを証明しています。


それで、神様が主神神殿の建設をご請求になってきたのが「真光」です。また、神様が私にご下命になられたもとなのです。

「お前が、レビ人の子孫を誘導して神殿建設を完成させるなら、わたしはどこまでも陽光子を守護し、一切の霊障解消を手伝ってやるぞ」とおっしゃっておられるわけです。これが ″立教″ なのです。

「教え主様、勝手に約束したんだ」と言っても、それは駄目です。「何故俺と契約しなかった」と言われても、これは仕方がない。

・・・・・ (省略) ・・・・・  

そこに皆様が寄って集|たか|ってお造り申し上げなければならない、また、功績を競わなければならない神殿建設になってくるわけです。

それだけに皆様が一体化して、私と神との契約、即ち陽光子・レビ人と神との契約をお果たし申しあげる実行責任が皆様の方にあることを承知しておいていただきたい。 ーー真光誌240号(昭和57年9月号)p26−27


信者は自信満々の光玉の話に巻き込まれ、「それが天地創造の神の欲することであるのなら、自分たちも努力しなくちゃいけない」と信じ込まされたのです。光玉の死後、世界真光文明教団の教え主の座をめぐって関口と争って負け、自分の教団、崇教真光を1978年に新たに設立した恵珠は、自分側に引き込んだ信者を煽り続け、信者から搾り取った何百億円というお金をつぎ込んで、1984年、あの金ぴか本山の建設を完了しました。〔注1〕 翌年2月、光玉のための『奥 津城』と彼の『記念館』を建設する、と恵珠が宣言しました。『奥津城(光神殿)』の方は1992年7月に出来上がりました。 〔注2〕

いずれも上から押し付けられたものです。教団にとって、信者(特に一般信者)は教団のために存在し、教団が信者に対し責任を取る必要もなければ、真の意味での感謝も詫びもする必要のない、使い捨てに出来る、またそうして来た存在です。信者は「神様のためだ」と思って教団に奉仕し、奉納するので、自分たちが教団に隷属状態にあることになかなか気付けないようです。

世界総本山に関して、『人類救済の基地』 『地上天国化に必要』『み光が強くなる』等といったことが教団の教えの中で謳われていました。では世界総本山を中心に、具体的な人類救済がなされているのか、と言えば、「なされていない」というほかないし、本山が『地上天国化』に貢献しているわけでもなく、本山建設以降『神の光が強くなった』わけでもありません。そもそも『神の光』というのは客観的に確認されたものではありませんし、そのようなものが『強くなった』かどうかなど、測れるものでもありません。〔注3〕 対外的には本山は崇教真光の宣伝のための建物です。本山建設後も恵珠は『火の洗礼』が迫りつつあると言い続け、色々な事件、事故、災害を話題にして信者を脅し続けました。〔注4〕

天災・人災・事故等は、起こって欲しくないけれど、地球上のどこかで起こってしまいます。そのようなことが起これば、「神の怒り」「神の警告」「人類界のミソギハラヒ」「その人の霊的曇り」「その地域に住む人々の曇り」等と言って済ましていられる教団もその教えもおかしいと思いませんか?信者に手かざしをさせておいて、『神の光』で『霊的』に世界が浄まっているのだとの幻想を抱かせ、何かが起これば、手かざしとは何の関係がなくても、教団に都合よく解釈していくのです。こんなことは実質的には人類救済になど繋がりません。

「これこれの建物を建てる。お前達も感謝の真を捧げなければならない」と、言葉の上では、「感謝」とか「真」といった、良いイメージを持った言葉が使われていても、「感謝の真を捧げなければならない」ということは「そのための奉納に励め」 「教団にお金を捧げろ」「勧誘してこい」等ということなのです。「組み手(『陽光子の友』)である以上、お前達だって待ち望んでいるだろう!」という高飛車な押しつけでも信者は有り難く頂戴させられるのです。そして「そうか、我々も待ち望んでいるのだ/待ち望んでいたのだ」と、催眠術にかかっているみたいに、信者は自分に言い聞かせるのです。光玉に、教え主に、教団に疑問をもたない ー それが真光の言う『ス直』です。『ス直』な信者が多ければ多い程、教団はそれだけ多く甘い汁を吸うことが出来るのです。

光玉によると「神殿建設を完成させるなら、わたしはどこまでも陽光子を守護し、一切の霊障解消を手伝ってやるぞ」と神が言ったということですが、なんとも頼もしい約束ではあります。しかし、この頼もし い『神』の約束も現実のものではありませんでした。1984年に崇教真光の方の主神神殿は完成したけれど、今もってそのようなことは実現されていません。陽光子(『陽光子の友』『(神)組み手』等)が特別に守護されているわけでもなく、『霊障解消』された姿であるわけでもありません。かえって社会の迷惑にさえなっています。 〔注5〕 情報が限定され、歪曲された、狭い真光の世界の内側で、神が陽光子を特別に守護しているのだとの集団幻想に浸っていても、外の世界から客観的に見れば、そのような現象は認められません。

『スの神』は、上記の約束を光玉としたけれど、崇教真光の教え主と約束したわけではないということなのでしょうか。約束した相手が違うから、その約束は守る必要がない、とか。しかし、光玉は「私と神との契約、即ち陽光子・レビ人と神との契約」と「私」即ち「陽光子・レビ人」と言い直しています。光玉の死後、その『み役』を引き継いだと主張した恵珠は、この『契約』をも引き継いだはずで、それに付随する『神』の約束も当然付いて回るはずです。でなければ、このようなことを伝えた光玉は無責任ということになります。それとも光玉の『スの神』は神自身が無責任に言葉を発していて、その言葉は当てにならないのでしょうか。それとも『スの神』は三つの『ス座』の間で、どれを取り上げるか決めかねているのでしょうか。 〔注2〕 それとも『ス座』には別の神が祀られてしまっているのでしょうか。〔注6〕 真光信者の想念が悪いから、『スの神』のこの約束は遂行されないのでしょうか。 

それとも元々『スの神』は光玉の描いて見せた神というだけであって、実体はなかったのでしょうか。教団(『狂団』との当て字もある)の作り出した集団のなかでは光玉の神は天地創造の神、実在神として扱われていても、教団の外の現実世界には存在しない『神』なのでしょうか。

約束通りの現象が起きていないということは、実はそのような約束が光玉と神との間にあったということさえ限りなく疑わしいし、さらには光玉が語るところの 『天地創造の神』である『スの神』の存在さえも限りなく疑わしいということになります。ということは、『神が請求してきた』との光玉の弁も実質的には疑わしいのです。いや、何らかの神的霊的存在はあるのではないかと信じたい分には、光玉の神は、光玉(及び彼に続く教団)の主張するような『正神』ではなく、 真光の世界を一歩出れば、『邪神・邪霊』であるとさえ見なすことも出来ます。〔注7〕

自分のための神殿建設を要求し、神殿にこうも固執する神。信者からさんざん金銭を搾取して神殿が完成しても約束を守らない神。さらに言えば、手かざししてさえもその実在が証明できるわけではない神。そのような神と通じているかのように見せる教団及び教え主。「正神の神々が表舞台に立っている」(〔注8〕)様子もないし、真光の業も光玉や彼に続く教団が主張するようなものではないようだし ....

真光の言うことを鵜呑みにして手をかざしている真光信者は現実世界を見ることを忘れてしまっているようです。



〔注1〕「ココが変!真光の本!ー真光被害者の会;178」より。

FOCUSの取材で、<総工費300億円の大神殿>と題し、完成間近い世界総本山がとりあげられた。
   
その中で<ウチは奉賛金など集めていません>と教団側が説明したものだから、「ンじゃ天から金が舞いおりたのか?」と皮肉られていたが、奉賛金を集めなかったなど嘘もいいところ。

〔注2〕「真光とお金」(2006/01)にも関連。

〔注3〕『お浄め』に関しても、浄まったかどうか測り様がない。
「真光の祖師岡田光玉曰く、『どんな病気でも治るんです』」(2008/01)、
「真光とスワミ・ラーマ」(2009/04)参照。

〔注4〕「真光を本当にぶっ潰したい人必見!!− 真光被害者の会;524」より。

いずれにしても、いつかは地震は起きます。
真光の地震予言は日にちや場所を指定していない。
地震が起きる、起きるといってればいつかは当たりますよ。
地震が起きるたびに、当たったと喜んでるへんな教団です。 

〔注5〕ネットで見られる表現をちょっと拾ってみると−−

詐欺宗教、妄想宗教、インチキ宗教、嘘で固めた宗教、霊障宗教、霊障教団、霊障をネタにお金儲けをする詐欺教団、矛盾だらけの教団、嘘つき団体、御利益信仰教団、百害あって一利なしのカルト狂団、悪徳霊感マルチ商法、宗教法人と言うより営利目的会社、社会の害虫、社会の寄生虫、等々。
ほんの一例であるが、書き込みを一つ紹介しておく。「真光関係者集合(45):789」より。 
人様に迷惑さえかけなければ、真光だろうが何だろうが、信仰しても誰も文句は言いません。
真光がココまで叩かれるのは、人様に迷惑をかけている上に、非常識だからなんです。
真光の皆さんは、本当に真光を崇拝して浄まりたいのであれば、どういう事をしたら人が嫌がるのか、迷惑だと思われるのか、そういう根本的な常識を身に付けて下さい。 

〔注6〕「光玉曰く、『世界のメッカは伊勢』」(2011/01)参照。

〔注7〕参考までに一例を紹介。「ココが変!真光の本!:206」より。

「嘘つきはドロボーの始まり」とは、うまい言葉です。
真光は嘘ばっかり。人のお金と時間を盗み取る。
こんな教団に本物の神様なんているはずないわぁ〜。

「邪神から神示を受けた」というなら、よく理解できる。
強欲教祖が最初から悪霊にとり憑かれて、嘘をつきつつ金儲けに精進。
そうでなければ、長靴売りの行商で数億という借金を返せるわけがない。     

【付加:光玉の借金については「岡田光玉の借金返しの件についてー前半、その2」(2008/05及び2008/07)参照。】

〔注8〕真光誌402(平成8年3月号)p17、教え主の教示の中に見られる表現。

ーー火の鳥Phoenix3000