Thursday, September 17, 2009

真光とスワミ・ラーマ <4>; ラーマはどんな病気も治せる? (Mahikari and Swami Rama < 4 > ; Rama can cure any diseases?)

光玉とラーマとの二人の間でどの程度、お互いを理解し合ったのか、又、ヨガ行者の言ったことを光玉がどの程度忠実に述べているのか、大いに疑問です。昭和34年の『最初の啓示』の話と同様、どうも光玉の言うことには真実味がなく、事実を見つけようとすると、『迷妄の雲』がかかって『すべてアイマイ』になってしまいます。〔注1〕

が、とりあえず光玉の話を追ってみることにしましょう。

光玉の話によると、『真光の業は病気を治す』という光玉の主張をラーマはそのまま信じたことになります。しかし、『真光の業は病気を治す』という、自信に満ちた光玉の話は、結局現実のことではありませんでした。〔注2〕 根拠のないことを明確な事実であるかのように聞こえさせているという点では、日本は人類の発祥地で、日本が世界で一番古い文明民族である、ムー大陸は、古代日本の天皇が支配していた、ムーとアトランティスが原水爆戦争をやった、超古代史が学問で裏付けられて来ている、等、他の光玉の妄言的教えと大差はありません。〔注3〕

次の光玉の話によると、三日間の真光の初級研修を受けると、誰でも手かざし(『真光の業』)ができるようになり、どんな病気でも治せて、奇跡を出せる、との光玉の説明もラーマは信じたことになります。もちろん、あくまで光玉の弁によるのであって、ラーマが光玉の言うことをそのまま信じたかどうかは保留した方が無難でしょう。

    ラーム氏は最後にこういう話をされたんです。それは、私は実際岡田さんと同じようにこの行力でどんな病気も治せる。それは今も弟子に究極の極意として教えているが、それはヨガの極意なんだ。しかし、その光なるものがどこから出てくるのか、これがわからん、というわけです。自分は三歳のときから師匠に引き取られて、四十年間ヒマラヤで徹底的な修行をして習い覚えた。ところが岡田さんは行をやったこともない。元軍人じゃないか。それがどうしてたった三日間教えると、皆があちらこちらで奇跡をだしちゃうのか。自分の弟子ではやっと五、六人これができるようになっただけなのに、それを岡田さんは信者みんなに教えてやる。一体どこに極意があるのか。   ーー 『御対談集』p306ー307

♦岡田さんは行をやったこともない。

『行』については 「真光とスワミ・ラーマ」(2009/04)、「真光とスワミ・ラーマ<2>」(2009/06)で話題にしました。 

♦私は実際岡田さんと同じようにこの行力でどんな病気も治せる。

光玉によると、このヨガ行者は、自分はどんな病気も治せる、と言ったことになります。が、このヨガ行者が実際にそう言ったのか、また、実際にどんな病気も治したのか、ということになると、これもあやしいものです。ラーマの能力に関しても人の目の前で姿が消せる、とか、じっと坐ったまま三尺ぐらい体を浮かせることができる、とか、随分怪しいことを言って、神秘的な人物に仕立て上げていましたし。〔注4〕

ラーマの、健康に関する話が紹介されているサイトがあります。〔注5〕 質素で栄養のある食物、野菜や果物がよい、調理し過ぎないこと、沢山の油物は避ける、砂糖や塩は採り過ぎない、よく噛む、姿勢を正しく、運動も大事、といった、きわめてありきたりのことが多く、健康的生活を促していることになります。<病気の原因は『霊障』>などという、真光的考えは見られません。

光玉によれば病気の原因は大部分『霊障』だそうです。『真光の業』でその『霊障』を解消して無病化できるという触れ込みです。〔注6〕 もしそうならば、手かざしさえしていれば、病気にはならないはずで、ラーマの話に見られるような、病気予防の様々な現実的対策は要らないことになります。『真光の業』で、蓄積した体内の毒素も溶け、『霊障』も解消して、健・和・富を得られる、というのが、宣伝文句です。しかし、真光に入信したことで、健・和・富を得られた『組み手』など身の回りにはいませんでした。いや、健・和・富を得られないのは、各々の罪穢が深いせいである、といったような、これまた確かめようのない言い訳が用意されている、ということは、『真光の業』そのものとその効用に誤摩化しがあるからではないでしょうか。

<真光の業で無病化できる>という光玉の弁は現実には当てはまりません。ネットの書き込みでもわかります。信者も ー 幹部でさえも ー 病気になっていますし、死にも至っています。『無病化』などとはとても謳えない実状です。ここでも光玉の自信ある言葉は信じるに足らないということになります。真光を信じて『手かざし』を受けたり、施したりして頑張ったけれど、結局亡くなった人々はあちこちにいました。『罪穢が消せなかったのだ』『神の経綸に追いつけなかったのだ』『お仕組みを許されなかったのだ』『その家の罪穢消しのために霊界誕生したのだ』『神の仕組みは奥の奥があるから』等の、真光の謳い文句の恩恵を受けられなかった言い訳は色々とあり、そういった、誰も確かめようのない解釈で、信者は納得させられていました。

ちなみに、種々の名目で信者から吸い上げた奉納金で、『富』 ー しかも途方も無く巨大な『富』ー を得たのは教団(具体的に言えば、教え主を筆頭に教団上層部)自体である、という現実もしっかり認識すべきです。

世間から見れば「金儲け主義宗教」と見られて当然で、その方がまともな見解であるということが、真光に疑問を持って初めてわかりました。真光の中にいたときには、そういう批判は『邪神の魔語である』とか、『幹部だって生活していかなきゃならないのだ』『金銭への執着を取る』等といった光玉(及び彼に続く教団)の言い分で、疑問を持つことを牽制され、真面目に働いて手にした給料から、真面目にせっせとお金を教団に奉納してました。教団に都合のいいように、現実への認識力を麻痺させられていました。マインド・コントロールの一例です。

さて、ラーマの弟子側の話によると、このヨガ行者が部屋に入っただけで、臥せっていた病人がたちまち治ってしまった、という逸話がありました。〔注7〕 これはこのヨガ行者が、『手をかざす』といった意図的な行為で病人を治したのではなく、ヨガ行者の出現で病気が治った、と解釈できる話です。

実際には、病人はたまたま回復の時期に来ていたのかもしれません。そこへ、見知らぬ、しかも、肌の色も顔かたちも体格も違う、独特の衣装を身にまとったインド人の来訪で、病人がびっくりして気分が変わったのかもしれません。

もしこの行者の『霊力』が病人の回復に直接関係があったのであれば、これは奇跡的な治癒力であり、この人物の『霊的治癒力』は真光の『手かざし』とは比べ物にならないほど威力があったことになります。<病気が治る、治らないには関係ない、霊相を浄化するのだ>などと、誰にも確かめられないことをうわごとのように言っているのではなく、即病気が治る、という効果があることになるのです。「自分の弟子ではやっと五、六人これができるようになっただけ」でも大したことになります。

ラーマが40年間徹底して修行して習い覚えた力と同様の力を、三日の研修で、「行をやったこともない」光玉が教えられる、そして三日の研修で誰にでもこの力の行使ができるようになる、ということの方が、むしろ眉唾物になって来ませんか。

真光の業が効く、というよりも、『チチンプイプイ』『痛いの飛んでけ』といったものも含め、誰にでもあるようなハンドパワーを利用している、とも考えられますし、手かざしで浄まる、手かざしで変化がある、という暗示の下に真光流解釈を身の回りに当てはめている、とも考えられます。だとすると、『神から光玉を通して初めて人類に許された神業』であると宣言するほうがどうかしていることになります。

ついでに付け加えておきましょう。『ヨガの極意』である『どんな病気も治せる力』を習得したラーマの弟子達はどうなったのでしょうか。ラーマが光玉に出会ってから亡くなくまで30年近くあったわけです。『どんな病気でも治せる』弟子はもっと増えたはずです。そのような弟子達は今どこにいるのでしょうか。どうしてうわさにもならないのでしょうか。

もう一つ --- ラーマの出現で病人が即座に良くなってしまった、というこの『奇跡的な出来事』で、臥せっていた病人やその家族が、罪穢とか霊的曇り等という概念や感謝を押し付けられ、この行者を『人類の救い主』として崇めさせられ、この人物に人生を(身も心も財布の中味も)捧げるよう勧められた様子はないということを付け加えておきましょう。


〔注1〕「御祖師御講述ー初級 眞光研修用テキスト;第十一人類が幸福と真理を尋ねた過程と行く手」(p39、1980年代頃のもの)に、『迷妄の雲、唯物主の雲』『陰暗文化期 −− すべてアイマイ期、決め手がない世』との表現がある。
〔注2〕「真光とスワミ・ラーマ <3>」(2009/07)
    「光玉曰く、『どんな病気でも治るんです』」(2008/01)参照。
〔注3〕「真光の世界とは」(2007/01)
   「真光の世界とはー3」(2007/03)
   「真光の世界とはー6」(2007/07)
   「光玉の説く日本と世界の歴史」(2008/08)
   「超古代史が、学問で裏付けられてきて」(2008/09)参照。 
〔注4〕「真光とスワミ・ラーマ <2>」(2009/06)参照。
〔注5〕http://sites.google.com/site/swamiramateachings/swami-rama-the-body
    (英語)
〔注6]「光玉曰く、『どんな病気でも治るんです』」(2008/01)参照。
    次の光玉の言葉も、<無病化>を謳っている。

    君達が私と共にあれば/主(ス)の神、君達を愛し給い憫(あわれ)み給い、抜苦・脱貧・無病化を与え給いて、永遠の死を与え給わず。  ーー『大聖主』p136
 
    「御祖師御講述ー初級 眞光研修用テキスト;
     第四 み教えの実践とその驚くべきインスタントな効用」
     にも次の表現が見られる。

    1無病化
    (ロ)無病化の肉体と変わっていく。
 
〔注7〕「真光とスワミ・ラーマ」 (2009/04)参照。


ーー火の鳥Phoenix3000