Thursday, October 30, 2008

真光の祖師岡田光玉と巨石器 (Okada, the founder of Mahikari and megalithic tools)

To the English reader,

Okdada mentioned "megalithic tools" in a statement quoted in the last post.
Another quote, here, from "Commentary of Kamimuki-sanji" shows what he had in mind when he said 'megalithic tools'.

He claims that there was an era when ancient people in Japan built dwelling places or mansions out of huge rocks (some large ones were 10 meters, or 15 meters, he says) and he tries to make a connection to the Japanese myth called "the rock door of heaven".

This post deals with his claims on "megalithic tools" and when and how such bizarre claims started in Japan.

-- -- Phoenix3000


「巨石器」について、光玉の言ったことをもう少し紹介しなければ、光玉にも読者にもフェアではないでしょう。『神向き讃詞解説』には次の箇所があります。


   また、日本には巨石器時代もあります。私が探訪してきた全国各所では、巨石器が立派に残っておりますし、写真にも撮ってきてあります。例えば、文献に出てくる日玉の国、今日の飛騨ですが、そこにも巨石器が残っています。大きいのになると十メートル、十五メートルという巨岩を使った屋敷跡が出てきます。大昔の屋敷跡で、おそらくそういうものを「天の岩戸」といったのだろうと思います。これによってすばらしい石器の住居時代があったことがわかります。ただ幾度もの地震にぶつかっておりますから、石がみなひっくりかえってしまっておりますが、学者が研究すると、屋根や側壁や礎石などということがわかるそうです。
    先日前橋に参りましたときも、前橋付近には石器時代の跡がなくてはならない、それに鏡岩がなくてはならないということで探して歩きましたが、やはり巨石器の住居跡がはっきり出てきました。相当大きなものです。やはり地震でひっくりかえっておりました。   ーー『神向き讃詞解説』p214 
         

前回のポストで光玉が「巨石器」と言っているのは、住居に使ったとする巨石を考えて言っているようです。日本では古代人が巨大な石を住居に使った時代があったとし、日本の『天の岩戸』の神話の世界にまで繋げようとしています。

『神向き讃詞解説』の215ページには、巨石が写った写真2枚が,216ページには1枚が載っていて、それぞれ「位山にある天の岩戸」「位山の祭壇石」「産泰神社の巨石」との題がついています。しかし、これらを大昔の屋敷跡、住居跡であると断言できるものでしょうか。見るからに巨大な自然岩、というところなのです。

光玉が、山の中の巨石の写真を次々に見せながら、引用部分のように説明している場面を思い描いてみてください。光玉は『神の地上代行者』である、とか、光玉の言葉には光が乗っている、とか、光玉の言葉を疑うのは霊障である、等と教え込まれている信者達をこの場面に付け加えてみましょう。皆一様に、感嘆の念で一杯の表情です。ここでは、信者は光玉を「大先生」と呼んでいることにしてみましょう。

 <なるほどー。こういうのが大昔の屋敷跡なのか。ゴロゴロとある巨岩を見て、大昔の屋敷跡がわかるなんて、さすが大先生。学者に引けを取らないんだ。今日は貴重な教えを戴いて、本当に勉強になった。有り難いことだ。>

中には疑問が頭の中をかすめた人もいるかもしれません。<ふーん。自然のでっかい石とどこが違うんだろう?>と。けど、そういう疑問はすぐに振り払って、 <まあ、いいか。大先生がそうおっしゃるんだから、その通りなんだろう。>と自分に言い聞かせて、他の者達の興奮に合流することになるでしょう。

次のような疑問が出てくることはめったにないでしょう。

*巨石器時代なんてあったっけ。 
*大先生は全国各地を探訪したと言ってる。それなら「天の岩戸」が全国各地にあることを知っていてもよさそうなんだけど。位山のだけを取り上げるのなら、これが本物ということか?では、あとは偽物?
*巨大な岩がごろごろあるからって、「すばらしい巨石器の住居時代があったことがわかる」とは言えないんだけど。
*巨岩を使った住居時代なんて、「すばらしい」と形容できるのかな。仮に住居らしきものがあったとして、そんなところに実際に人が住めるのだろうか。
*これは屋根、これは壁にする、等と決めて、10メートル、15メートルの巨岩を組み立て、屋敷が作れるものかな。それも、辺ぴな山奥に。
*大先生が言うように、地震で巨岩屋敷がひっくりかえったのか、それとも最初から屋敷などなかったというのが実際のところなのか。後者の場合、屋敷があったというのは想像(又は妄想)の産物ということか...。
*人の住んでいたことを示すような、大昔の遺物は見つかっているのだろうか。
*文献って、何の文献?。
*学者って誰?

光玉の説明はそれらしく聞こえはしますが、「巨石器」に関して、物的に実証するものは何一つ含まれていないことに注目すべきです。「学者」という言葉を導入することによって、漠然とした権威付けを行っています。「学者が研究すると屋根や側壁や礎石などということがわかるそうです」と言うことによって、光玉の主張が「学者」によって裏付けされているかのような印象を与えます。

さらに「学者が研究すると・・・・ということがわかるそうです」という文に押されて、「私は学者ではないから」と、それ以上考えずに、光玉の言っていることを受け入れてしまう、という効果もあります。

それでも、「これって、自然の岩みたいだけれど?」といぶかしがる者がいたら、「いや、それはあなたが素人だからだよ」と、指摘してやる。「見た目が同じでも学者が見れば、違いがわかるのだ」と説明して、自分の教えに丸め込む。すると相手は、「へぇー。大先生ってすごい!」と感心してくれる。自分のエゴはくすぐられるし、信者は操作しやすくて「かわいい」し、というところでしょうか。

けれども、考えてみて下さい。光玉が言う「学者」って誰のことでしょうか。

「先行研究紹介」〔注1〕には、昭和(戦前)に、「巨石文化」遺跡の調査が行われるようになった、この調査のやり方は、山奥を探検して巨石を見つける、というもので、アマチュアの「研究家」が独自に山の中に分け入り、それらしい「巨石」を見つけたら、それは「失われた巨石文化の遺産」とみなしていくケースが多発していった、ということが述べられています。例として、上村清二という名が挙げられています。この人は日本ピラミッド説提唱者酒井勝軍の弟子で、岐阜県位山とその周辺の山々の中に入っては「巨石遺跡」を「発見」し、飛騨国こそ世界の中心「日球国」であると主張した、とのことです。

「考古学における、巨石祭祀の研究史」〔注2〕には次の記述があります。


   上村清二は岐阜県位山を中心にして、そこかしこの山の中に入っては、「巨石記念物」を「発見」し、飛騨国こそ世界の中心「日球国」と主張した。この上村は、あの日本ピラミッド提唱者である酒井勝軍の弟子に当たり、酒井の過激で多分に日本中心主義的な世界観に影響されての主張であった。 
 

また、ネットでの真光関係の掲示板には時々次のような書き込みが見られます。


  戦前、巨石文化を研究していた退役軍人の上原清二という人が「飛騨高山付近の巨石」を調査して、竹内文書の研究者「酒井勝軍」等を連れてきて盛んに調査していたのです。戦前の話です。

  戦後、大本教にいた、池澤原次郎という人が中心になって飛騨の位山を開こうという気運が強くなってきたのです。それには上原清二も参加していたんですね。昭和二十九年と三十年に「位山を開く祭典」が執り行われています。この話は昭和二十九年の中外日報に書いてある。

  真光が高山のことを言い出したのは昭和四十年頃からだから真光よりも十年早い。
  真光如きにオリジナルなど何もないという事である。  ーー教え主(救い主)の実態・191《一例》
 

上村清二、上原清二、と漢字が一字違っていますが、同一人物でしょう。どちらが正しいのでしょうか。上原清二となっている別のサイトもあります。〔注3〕 上原清二の名が日本軍にありますので、〔注4〕多分こちらの姓が正確なところなのでしょう。

ともかく、「学者が研究すると・・・とわかるそうです」と、光玉がさりげなく「学者」と呼ぶ人物はどうやら上原清二のことのようです。このような人物を普通は「学者」とは呼ばないと思うのですが、光玉にかかると、実際のところはどうでもよく、自説に都合がよければ、アマチュア「研究家」でも「学者」になってしまうということです。「学者が研究すると・・・とわかるそうです」と聞くと、批判や疑問は一層抱きにくくなります。事実面をはっきりと知らないと、光玉の話のペースに簡単に乗せられてしまうことになるでしょう。

このような情報の書き込みや、ネットでの情報のおかげで、冒頭に引用した部分の、光玉の陳述が実際にはどこから来ているのかわかります。光玉は、漠然とした「学者」というイメージに自分をなぞらえて、自らも飛騨の山々や前橋の巨石調査をおこなったのだと主張して、「巨岩で出来た大昔の住居」が紛れもない事実であったかのように話しています。しかし、実質的にはそれを支えるような事実は述べられていないし、検証に値するような事柄も含まれていません。しかも、ここでの「学者」とは、光玉と同じように元軍人で、光玉と同じように、日本(中でも特に飛騨)が世界の中心である、という思想を持った、アマチュア「研究家」だったわけです。 

ついでに、冒頭の引用部分に続いて、光玉は「地震」のことにもう少し触れていますので、載せておきましょう。どこか変だと思いませんか。


  日本は火山の国ですから、どうしても地震が多い。  ・・・(略)・・・ 幾度も火山や地震にやられておりますから、ほとんど溶岩の下にうずもれてしまっている。そんなところから、日本には石器がなかったなどといわれたり、日本が新しいといわれたりする所以があります。溶岩の下を掘ればいくらでも出てくるわけですが、それは現在発掘されつつあるもので、それらが新考古学の材料になっているのです。                ーー『神向き讃詞解説』p214、216



〔注1〕「先行研究紹介」 http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/a3senkou.html
〔注2〕「考古学における、巨石祭祀の研究史」 http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/koukogan4kenkyusi.html
〔注3〕「竹内文献」が語るSF的創世神話」 http://www.mars.dti.ne.jp/~techno/column/text3.htm
〔注4〕wikipedia - http://ja.wikipedia.org/wiki/第77師団_(日本軍) か、
    http://ja.wikipedia.org/wiki/大日本帝国陸軍師団一覧  に行って、第77師団をクリック。



ーー火の鳥Phoenix3000