Monday, March 02, 2009

相沢忠洋氏と真光の岡田光玉 <2> :「ここ掘れ、ワンワン」 (Tadahiro Aizawa and Mahikari founder, Okada < 2 > : "Woof, woof! Dig here.")

To the English reader,

Ms Okada's teachings have partially been shown in note 8 of "Kotama Okada and the Old Stone Age" (Dec. 2008), in which she talks about the 'discoveries' of the old stone tools as proof for Mahikari's claims, totally unaware that they were fabrications. The teachings were from Ms Okada's monthly teachings, given in 'Oct. 1996, and printed in the Japanese Mahikari Magazine, No.410, Nov. 1996. In that month's teachings she also mentioned Iwajuku remains, stating; it was Mr Aizawa who discovered them. He kept researching persistently while earning his living selling natto. One day he found a magnificent stoneware piece made of obsidian in an exposed stratum of red clay. That was how the evidence of the paleolithic period in Japan was first revealed.

This is the well-known part about Aizawa's life story and anybody can make this statement. The problem is . . . Mahikari members think that these things are true facts because Ms Okada (this applies to Okada or "Dairi", as well) says so, and that they have special meanings because she (or Okada, or "Dairi") says so. As a result, the members are led to think that there may be profound meanings in Mahikari teachings which normal people would not comprehend, even if they are actually false, unreal, contradictory or incoherent.

After the brief explanation on Iwajuku remains and Aizawa, she tells that Okada visited him and had a walk with him in the Iwajuku and Natsuido sites several times.

Our holy founder, Sukuinushi-sama, would visit the Iwajuku and Natsuido sites with Mr Aizawa every time he made a tour of light to Gunma. On one trip*, Sukuinushi-sama pointed to a certain place on the ground with his walking stick and said that archaeological remains would be discovered underneath there. Some time later, important stone tools were unearthed in that spot.

Since then, stone tools from the paleolithic period have been found one after the other at the Iwajuku and Natsuido sites.

Sukuinushi-sama had predicted that, "Much, much older stone tools will be found." Indeed, 300,000-year-old stone tools were later excavated from the Natsuido site.

      [ * 'One trip' can be 'trips' in Japanese context.]
[More English translation of these teachings can be seen in Mahikari Exposed - Early History Hoax]


According to her teachings, Okada made a contribution by pointing out the spot to dig using his walking stick. However, when he himself, Ms Okada, and the Sukyo Mahikari she founded, are talking about an event, for example, it is often ambiguous and inconsistent, and actual facts are not clearly stated. Sometimes even no fact is to be found.

When I was a Mahikari member, I often felt vaguely that something was not quite right in what Okada, Ms Okada and her Mahikari group said, but didn't give any more thoughts to that. One reason was that I was under mind control - - what Okada and Ms Okada said was absolute, and doubting their teachings was "spirit disturbance". Another reason was that I was quite busy doing 'tekazashi' , believing that 'tekazashi' and 'spirits movements' were real.

You do raise your hand, believing Mahikari is a 'religion of practice', which is one of its slogans. Then, you don't notice - or don't let it bother you - that some teachings do not make any sense, or they are unreasonable, or of no substance and just 'toying with ideas'. Believing firmly whatever Mahikari says is an objective measure, you listen to the cult group only, and make more endeavor doing tekazashi and donations etc. This is a vicious cycle.

"Woof, woof! Dig here." is from a children's story; A dog leads its master to a spot in the field and barks, telling him to dig there. When its master digs at that spot, he finds a heap of coins. The same dog, led by a greedy neighbor, makes a crying noise, and the neighbor digs at that spot only to find rotten rubbish. In this case, Okada's "walking stick" appears to lead to deceptions.

ーー火の鳥Phoenix3000


1996年(平成8)10月度月始祭の教示(『真光』誌410に掲載)の一部 ー 捏造された旧石器とも知らずに、その教えの中に取り入れた恵珠の教示の一部 —  を「岡田光玉と旧石器時代」(2008/12)の〔注8〕で紹介しました。この時の教示の中で、恵珠は岩宿遺跡のことを話題にし、岩宿の旧石器を発見したのが相沢氏であると述べ、<納豆の行商をしながらコツコツと探求を続けた。ある日、切り通しの赤土の中から黒曜石で造られた見事な石器を発見した。ここに日本の旧石器時代の存在が初めて明らかになった>と説明しています。 〔注1〕 

これは恵珠でなくとも誰でも言える陳述です。けれど、彼女(光玉や『代理』の場合も同じ)が言うから事実である、真実である、彼女が言うから特別の意味がある、と思ってしまうのが『組み手』(信者)です。その結果、真光の虚偽の教え、非現実的な教え、矛盾する教え、意味不明な教えでも、凡人には分からない、何か深遠な意味があるのだろうと受け取ってしまうことになります。

恵珠は、岩宿遺跡と相沢氏のことに触れた後、光玉が何度か相沢氏を訪問し、一緒に岩宿遺跡や夏井戸遺跡を歩いたと言います。


  御祖師・救い主様は、群馬県に御巡光遊ばされます度に、相沢先生と共に岩宿遺跡や夏井戸遺跡をお歩きになられました。
  その折り、救い主様がステッキにて地面を指し示され、「この下から遺跡が出ますよ」とおっしゃられますと、間もなくその場所より貴重な遺跡が発見されております。
  爾来、岩宿、夏井戸遺跡から次々と旧石器が発掘されております。
  救い主様が「まだまだ古い石器がでますよ」とご予告なされました通り、夏井戸遺跡では三十万年前の石器が発掘されるようになりました。  ーー『真光』誌410(1996年11月)p12−13


この教示によると、掘るべき位置をステッキで示すことで光玉(本名:良一)が岩宿遺跡や夏井戸遺跡の発掘に貢献したということになります。しかし、光玉自身もそうでしたが、恵珠及び彼女の設立した崇教真光は、出来事を話しているような時でさえ、曖昧だったり、一貫性がなかったりして、実際の事実がぼやけています。事実が見当たらないことすらあります。

そういった光玉や恵珠や教団の話を聞いていて、組み手時代には、どこか変だなあ、という程度で、それ以上考えませんでした。一つには光玉及び彼を奉じる教え主が絶対で、その教えに疑問を抱くのは『霊障』とのマインド・コントロール下にあったということ、また、一つには、手かざしや霊動現象は「本物」と思わされていて、手をかざすことに忙しかったことがあります。

真光の謳い文句の一つである、『実践の宗教』を信じて手をかざす、すると、教えが意味を成さなくても、筋の通らないものでも、実体のない、「観念のもてあそび」そのものであっても、〔注2〕 気が付かないし、気にならない、むしろ、光玉や教え主を含む教団の言うことが、客観性のある物差しであると思い込んで、教団の言うことだけに耳を傾けるようになる、そして増々手かざしや奉納に励む、という悪循環になります。

さて、この恵珠の教示の中の文脈でいくと、光玉がステッキで地面を指し示し、「この下から遺跡がでますよ」と言った(今回の副題の「ここ掘れ、ワンワン」にあたる言動。本文中では「ここ掘れ」と表現)、間もなく、光玉の指し示したその場所で、次々と『貴重な』旧石器が発掘されるようになった、という主張です。一瞥すると、さすが光玉には普通には見えないものが見えたのだ、霊能力があったのだ、という光玉像が投影されていて、不思議な世界に誘い込まれるような話です。

しかし、ちょっと待って下さい、この話、どこまでが本当なのでしょうか。光玉及び崇教真光は事実を忠実に正確に記録することには関心がない、とこれまでにも指摘しました。事実を忠実に正確に記録していったら真光の虚構の世界は成り立たないからです。ですから、教団の他の話と同様、この話もどこまでが本当なのか怪しいものです。

光玉がステッキで地面を指して「この下から遺跡が出ますよ」と言った、とありますが、そのようなことがあったかもしれません。本当はなかったのかもしれません。何でもありの真光です。そんなことはなかったのにあったとしている可能性も否定できませんし、あったとしても、その言動に光玉の計算(別の表現をすれば、演技)がなかったとは言い切れません。

<光玉がステッキで地面を指して「この下から遺跡が出ますよ」と言った>ということそのものの信憑性に問題がありますが、ひとまず、それらしいことがあったとしてみましょう。それでも色々な疑問・問題が出て来ます。

*<光玉がステッキで地面を指して「この下から遺跡が出ますよ」と言った>のは、一度だけあったことなのでしょうか。それとも幾度かあったことなのでしょうか。前後の日本語の表現では、そのようなことが複数の回数に渡ってあったとほのめかしているようですが、いまいち不明瞭です。崇教真光の英語訳では『その折』は単数、つまり一回として表現されています。〔注3〕

*もしこれが、一度だけあったことならば、その場所は、岩宿遺跡または夏井戸遺跡の一方だけになります。光玉が「ここ掘れ」を岩宿遺跡(又は夏井戸遺跡)でやったとしてみましょう。その後に岩宿遺跡(又は夏井戸遺跡)で発掘された石器があったとしたならば、真光では、光玉が貢献したのだと、勝手に主張してしまうわけです。しかし、夏井戸遺跡(又は岩宿遺跡)の新たな発掘には貢献しなかったことになります。恵珠は岩宿遺跡と夏井戸遺跡を並べているので、彼女の陳述は半分は嘘ということになってしまいます。

*岩宿遺跡か夏井戸遺跡かのどちらかで一度だけ『ここ掘れ』をやって、両方の場所での旧石器の新たな発掘を光玉の貢献にしてしまうというのも、不正直であるばかりでなく、欲張りです。

*それともこれは一度の訪問で、岩宿で『ここ掘れ』をやり、立て続けに夏井戸でも『ここ掘れ』をやった、ということなのでしょうか。

*さらに、「現在に至るまでこの二カ所で次々と旧石器が発掘されてきている」のは、その一度(二度以上でも大差はない)の光玉の言動のおかげだと示唆してもいるのですから、増々現実味が無くなってきます。1996年の時点では光玉が死去してから24年も経っているのです。光玉の霊がさまよいながらステッキであちこちの地面を指し示して来たとでも言うのでしょうか。それとも生存中にあっちの地面、こっちの地面を指しながら、「この下から遺跡が出ますよ」と言って回ったので、数多くの該当箇所を掘り出すのにそれだけの長い年月が必要だったとでも言うのでしょうか。

*岩宿と夏井戸の二カ所で、少なくとも一度ずつ、光玉が『ここ掘れ』をやったと解釈してみましょう。『ここ掘れ』の代わりに、「まだまだ古い石器が出ますよ」でもいいでしょう。両方を二カ所でやっておくのが光玉には得策だったことでしょう。新たな旧石器が発見されたら、それは「光玉のおかげ」、新たに発掘された旧石器がもっと古い年代のものならば、「光玉が予告した通り」と付け加えて真光内では宣伝できます。何も起こらなかったら、そのような言動があったことなど、黙っていればいいのです。

*光玉が『ここ掘れ』をやった、また、「もっと古い石器が出ますよ」と言ったのは、この二カ所に限定されるのでしょうか。別の遺跡や自称「研究家」を相手に、光玉が同じような言動をしたのなら、『霊能力』というよりも、一応そう言っておくのが口癖だったと見ることもできるでしょう。

*<間もなくその場所より貴重な遺跡が発見されている>と恵珠は言っていますが、「間もなく」というのは数日後のことでしょうか。それとも一、二年後のことでしょうか。これも曖昧で、誤摩化しが効くことです。

*ここでわざわざ『貴重な』という形容詞が使われています。そこに特別に『貴重な遺跡』があったから光玉はその場所を指し示したのである、と言いたいようです。いつものことながら、真光がそういう印象を作り出そうとしているだけで、紛れもない事実を参照して言っていることではないでしょう。

*光玉が『ここ掘れ』をやったのがいつなのか、恵珠は言っていません。「いつ」という特定の日付がないので、たとえこの二つの遺跡の発掘記録が入手できたとしても、そして新たに発掘された旧石器があったとしても、そのことと、光玉の『ここ掘れ』の言動とがタイミング上合うのか知りようがありません。

*それとも、新たに旧石器が発掘されているのならば、本当の事実関係がどうであろうとかまわない、それは光玉の『ここ掘れ』のおかげだと解釈する、ということでしょうか。つまり、光玉がステッキで地面を指したことと、後に掘り出された旧石器があったとして、そのこととを、光玉や恵珠が都合よく勝手に結び付けたということです。このほうが真光らしいです。信者は事実など追求する術も思考もなく、真光の提示する解釈を、『普通の人には見えないものが見えた光玉』というイメージと共に、絶対の事実として受け入れることになります。

*岩宿遺跡の最初の発掘は1949年で、光玉が相沢氏に初めて出会ったのは1966年ですから、最初の発掘から17年後です。最初の発掘以後、どこを掘ってもそれ以上の遺跡が見つからず、17年間発掘に苦戦していたところ、新興宗教の教祖が突然現れて、『ここ掘れ』をやった、そしたら、まさしくその場所から、『貴重な』旧石器が出てきた、その後も幾度か同じことがあった、というのなら、まだ話としての面白みはあります。が、この《最初の発掘以後、どこを掘ってもそれ以上の遺跡が見つからず、17年間発掘に苦戦していた》という前提なくしては、後半は取って付けたような、さして意味のない話になります。自分が発掘に貢献したと言いたいがためのジェスチャーだったとも取れるのです。このような主張はその新興宗教内だけで通用するものです。

*光玉がステッキで指した地面に誰かが印を付け、その上で、その印の真下を掘った、とでも言うのでしょうか。それとも、おおざっぱにその辺り、いやもっと広げて、その地域であればどこでもいい、「その下から出て来たことにしてしまえ」ということだったのでしょうか。教団(光玉や教え主等含む)がその辺のところを誤摩化すことは簡単です。教団の利益とは全く無関係な第三者がそこにいて、事の一部始終を記録したわけではないでしょうから。

*岩宿遺跡は、すでに遺跡が出た場所であって、光玉が関わった時には、遺跡とは誰にも思えなかったような場所ではありませんでした。夏井戸遺跡についても、光玉が相沢氏を先導して、いきなり見知らぬ土地であった夏井戸の地点に案内し、『ここ掘れ』をやったわけではありますまい。すでに遺跡が出てきている場所で、『ここ掘れ』をやったからって、それが透視のような特殊能力や、神懸かり的人物だったことを証明するものでしょうか。もしも、光玉がステッキで地面を指し、その点にチョークででも印をし、その場でそこを掘ったら、旧石器が出てきた、というのを、一連のフィルムに収めたというのなら、無邪気に見る人を感心させることはできると思いますが、それとても、あらかじめ仕組んだことではなかったと断言はできません。藤村新一の例もありますし。

藤村の場合、次々と遺跡を「発見した」かのように振る舞い、「私には50万年前の地形が見える」と豪語しました。周囲の人々はすっかり彼を信じてしまったようです。そのために、見えるものが見えなかったり、見えないものが見えたりした、ということです。詳しくは、「旧石器捏造事件考」「(続)旧石器捏造事件考」をご覧頂きたいと思います。〔注4〕

恵珠は、また、<光玉が「まだまだ古い石器が出ますよ」と予告した通り、夏井戸遺跡では30万年前の石器が発掘されるようになった>とも言っています。しかし、ウィキぺディアにも、また、「相沢忠洋記念館公認ホームページ」にも、夏井戸遺跡が「30万年前」とはなっていません。〔注5〕 『科学朝日』の表題『30万年前の石器を発掘』の「30万年前」という年代は、確認された年代ではなかったと言えるでしょう。〔注6〕 にもかかわらず、恵珠は<光玉が「まだまだ古い石器が出ますよ」と予告した通り、夏井戸遺跡では30万年前の石器が発掘されるようになった>と言っているわけです。ここでも、世の中の「真相」が彼女にわかるわけではないという事実をさらけ出したことになります。それだけでなく、光玉の「予告」とやらもあてにならないことも示しています。

「30万年前の石器」というのは、光玉が岩宿遺跡について吹聴していた年代です。ひょっとすると、「100万年前の石器を探せ」と藤村を励ました芹沢長介のように、〔注7〕 光玉も相沢氏を焚き付けたことも考えられます。1972年に試掘されたという夏井戸遺跡に関しても、相沢氏の横で光玉が「30万年前だぞ」と囁きかけていたということだって考えられます。けれど、「考古学が好古学になってはいけない」との警めを胸に納めていた相沢氏は、〔注8〕そのような焚き付けには簡単に乗らなかったのかもしれません。 

光玉や恵珠は、自分達の教えがもっともらしく聞こえるように、現実に即したものとして、相沢氏とその業績を引き合いに出し、その上で彼との知り合い関係を利用して、光玉には地面の下に眠っている旧石器が見えたのだ、神とも言える特別の人物だったのだ、という印象を作り出そうとしたという説明はいかがでしょうか。この方がずっと現実的な見方でしょう。

この素人の考古学研究者がアマチュアだということで迫害を受け、なかなか認められなかった、それでも熱心に努力し続け、やがてその業績が認められ、大学の講師も勤めるようになったという経歴は、光玉には格好のものだったでしょう。というのは、光玉が歴史や科学や宗教等の分野に関することを好き勝手に言っても、相沢氏の実例がちらついていれば、真っ向からの批判はし難くなり、他者への心理的抑制になるからです。

さらに言えば、相沢氏の人生には、光玉にない、現実に根を下ろした努力と感動の話があります。その実話から光玉が借用して自分のことに合わせたのではないかと思われるものがあります。納豆の行商をしながらコツコツと探求を続けたこと、自転車で桐生から東京まで120kmをたびたび往復したこと --- これらは光玉の話に出て来る出来事と似ています。すなわち、履物(ネットでは「ゴム長靴」や「地下足袋」との声もある)の行商をしながら莫大な借金を返し続けたという話(『神の世界の研究もした』という話も付け加えれば、もっとにぎやかに聞こえる)、そして、都心から立川、八王子方面まで古自転車で行き来したという話です。相沢氏が実際やったことと似たようなことですから、他の人々が「そんなバカな」「そんなこと出来るわけない」と即否定することは心理的に難しくなります。

前者の話に関しては「岡田光玉の『借金返し』の件について」(2008/06)で少し触れました。下記の書き込みも、人々の率直な意見や疑問として参考になるでしょう。

    
    ありましたね.借金返済の話。初級研修でも必ず講義に出てくるし、光記念館の救い主のアニメでは、ゴム長靴を売りながら手かざしして、気がついたら、借金を返済していたって。。。 数億円をゴム長靴売りで稼ぐとしたら、一体何足売ったんだ?  戦後の物価を考えると、ありえないのでは?  −− 道場長に質問しよう!325
    
    ゴム長の行商で、億の借金を返したという信じられない話は、神様のお陰・・・ということに、対外的にはなっていますが、実際に現実離れした信じられない話。
    だって実は違うから。嘘だからです。   ーー同上326


もしかすると光玉は履物の類いの行商はしたかもしれません。たとえそうだとしても、どのくらいの間やったのか疑問です。極端に言えば、2、3週間やっただけかもしれません。それを、光玉は良心の咎めもなく「十何年間」したことにしてしまったということも大いにあり得ます。

後者の話に関しても、光玉が都心から立川、八王子方面まで、古自転車でしょっちゅう走り回ったかのように恵珠は提示しています。下記の引用を見て下さい。


    父は、雨の日も、寒風吹きすさぶ嵐の日も厭うことなく、御自ら古い自転車を走らせて、苦しみ、悩む人々をお救いしてまいりました。昼夜を分たず八王子、立川へと出張され、お浄めに、お導きにと細やかな愛情をもって御教導あそばされました。  ーー『大聖主』p13


これも怪しい話です。ひょっとすると一度だけそのようなことがあったかもしれません。それを何度もあったかのように思わせたのは光玉本人や恵珠、及び彼女の崇教真光だったのではないでしょうか。実際には自転車と電車を組み合わせて移動したと考える方が現実的です。

光玉の『偉大さ』への恵珠の記述も、華やかな言葉を駆使してはいますが、事実がぼやけていて、どこか空ろに響いてきます。



〔注1〕『真光』誌410(1996年11月)p12
〔注2〕『崇教真光30年史』p46「手かざしなき教えの行く方は、観念もてあそびの宗教ということになってしまいます。」
    ・・・真光は「手かざし」があるから、『観念もてあそび』の宗教ではない、と言いたいのであろうが、逆に、教えそのものは『観念もてあそび』である、と認めていることになる。実際には『観念もてあそび』の宗教であるのを、「手かざし」で誤摩化しているとも言える。
〔注3〕Mahikari Exposed - Early History Hoax ; http://members.ozemail.com.au/~skyaxe/artifacts.htm
   このポストの英語文中にもある。
〔注4〕「旧石器捏造事件考」   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunidai
   「(続)旧石器捏造事件考」   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuusandai
〔注5〕相沢忠洋について、ウィキペディア(http://ja.wikipedia.org/wiki/相沢忠洋)には「晩年は最古の石器を求めて夏井戸遺跡の発掘に精魂を傾けた」とある。夏井戸遺跡がどのくらい前の年代に遡るのかには触れていない。
   「相沢忠洋記念館ー相沢忠洋の部屋」(http://www.interq.or.jp/gold/waki/aizawa/tenji/tadahiro/tadahiro.html)では「約6万年以上前」。  
〔注6〕「相沢忠洋氏と真光の光玉 <1>」(2009/1)参照。
〔注7〕「旧石器発掘のドラマ」  http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/kyuusekki.html   
   「奥野正男・『霊能者』が活躍した旧石器『考古学』の日々」  http://www.okunomasao.com/saikin/jyoumonn13.htm
〔注8〕「相沢忠洋物語」  http://www.interq.or.jp/gold/waki/aizawa1/index.html



ーー火の鳥Phoenix3000