Thursday, July 29, 2010

真光の祖師岡田光玉と『マンナの壷』ー1 (Okada & Manna pot)

岡 田光玉(本名:岡田良一)はその教えの中にトンデモ話を取り入れていました。日本の歴史が世界の歴史である、日本の超古代史こそが世界の正しい歴史であ る、ムー大陸は日本だった、ムーとアトランティスとは原水爆戦争をした、モーゼ,釈尊、イエス、皆日本に来て日本で死んだ....等、根拠のない説をこれこそが事実であり、神理であるとして説きました。〔注1〕

さらに、人類の発祥地は日本、文字も日本から、世界の宗教も元は日本から、といったように、何でもかんでも日本中心の考えに基づいた教えを説いていました。〔注2〕光玉は根拠があるかのように話すけれど、実質的には根拠はありません。

旧約聖書に出て来るマナの壷についても、『神向き讃詞解説』の中で、次のように言っています。


    ・・・ 今伊勢神宮の外宮の御神体であるマンナの壷は、今日の学界でも認められているように本当のもので、したがってマンナの壷がイスラエルからなくなっているのは当然で、日本に帰ってきているのです。この壷は金の壷で、そのうしろに例の「エイーエ・アシエル・エイーエ(在りて有るもの)」と書いてあるから仕方がありません。
    「十八史略」を見ますと、秦の始皇帝が金の壷をもっていたことが出てきます。 ・・・・・・ところで、イスラエルにあったマンナの壷は、今の島根の関の五本松の所に到着しました。そこにあるのが美保神社です。この後、この壷は丹波の元伊勢に行き、そして今の伊勢の外宮の御神体となっているのです。
   このマンナの壷に関して、少しお話しておきますと、一旦秦の始皇帝が持って逃げたものを、大国主命が持って帰られたものです。
   その船の形まで今残っており、船代といいます。すなわち伊勢神宮にあるマンナの壷をお乗せしたものを船代といい、そのお祭りを御船代祭といいます。
   その船は、今日の技術からみても、立派に大洋を乗り切れるということです。 ーー『神向き讃詞解説』p239ー240



マンナの壷は、イスラエル民族の話に登場する不思議な食べ物マナを入れた壷です。その民族の話はすべて本当であると信じる原理主義者はいるけれど、客観的な見方をすれば、旧約聖書は「歴史的事実の記録ではなく、物語という形式をとった生活訓集であり、民族のアイデンティティーを維持するための資料集」と言えるでしょう。〔注3〕

この中で語られるマナの壷ですが、放浪中のイスラエルの民が集めて食べたというマナの方が壷より重要な意味を与えられているように思われます。しかし、日本ではいつの間にか壷の方がスポットライトを浴び、実物の提示もないのに、マナの金の壷がどこそこの神社の御神体であるとの噂になっています。光玉はそのような噂話にもう一つひねりが加わった、更に怪しげな話ーーその壷は日本のもので、日本からイスラエルに行ったものである、だから当然イスラエルから消えて、日本に戻って来たのであるーーを説いています。他民族の神話にずかずかと踏み込み、そこにあるものを引っ掴んで、これはオレのものだ、と勝手に宣言しているようなものではないでしょうか。


今伊勢神宮の外宮の御神体であるマンナの壷

伊勢神宮が「外宮の御神体はマンナの壷である」と言っているわけではありません。外宮で祀っているのは豊受大御神(とようけのおおみかみ)と言い、この神は農業(食物・穀物)を司る神ということです。マナの壷も食べ物を入れた容器とのことで、誰かが両者を勝手に結び付けたとも考えられます。

それにしても、元伊勢の『御神体』はマナの壷だとの説もあり、この金の壷は一つ以上存在してもいっこうにかまわないし、また、マナの壷がいつの間にかヤタの鏡に変形してもオーケーという仮想的話です。

神社の『御神体』というのは、あると思わせればそれで良い面があります。「この神社にはこういう由緒ある御神体が祀られています/祀られているそうです」と言うだけで、現物を見せなくても話が成り立ってしまいます。聞く人の想像が刺激されればよいのです。「ご神体とかは隠してるうちが花で、中身を見たらガクッと祈る気力も失せる」との書き込みをネットのサイトで見つけました。 〔注4〕


今日の学界でも認められている

光玉は類似の表現をあちこちで使用しています。これまで見て来た彼の陳述の幾つかをあげてみるとーー 

✴✴(超古代史が)学問で裏付けられてきていて、これに反論する余地を与えないようになりつつあります。 ーー『神向き讃詞解説』p244(2008/9)

✴✴(日本人が)世界最古の石器文明人だったことが証明されるようになって来ました。ーー『神向き讃詞解説』p214(2008/12)                                                                                                    
✴✴ムー大陸が陥没した後太平洋には、マーシャル、カロリン等の島々が点在していますが、これらはムー大陸の陥没した山の頂上が残ったものであることが発掘物で証明されだしています。ーー『神向き讃詞解説』p297(2007/05)

✴✴少なくとも日本には、六十万年から百万年以上の歴史があることが、ようやくハッキリしてきました。ーー 七周年大祭教示(2008/12)

✴✴超古代においては、 .......すでにムー大陸の研究などから明らかなように、ある部門では現代文明より進んだ科学文明をもっていた時代があったということが判明してきています。ーー『神向き讃詞解説』p573ー574 (2007/05)


現実世界と照らし合わせてみると、これらは全部事実ではありませんでした。たぶん、光玉がどこからか聞いた話を、自分に都合がよいから勝手に『事実』として扱ったのでしょう。自分は「神の代弁者」であるとして、事実ではないことでも、これこそが事実で、真理(=神理)である、と平気で言う人間だったということを念頭に入れておく必要があります。

今日の学界でも認められているように本当のもので

そもそも現物を目の前にすることがないのに、『本当のもの』であるかどうか、鑑定も、判定もできないと思いませんか。現物があるのかどうかさえわからないのに、それが壷であるとは断定できないし、ましてや金の壷であるなどとは断言できません。実物なしで、『学界で認められている』というのも、おかしな話です。光玉の『学界』というのは「妄想学界」なのでしょうか。


そのうしろに例の「エイーエ・アシエル・エイーエ(在りて有るもの)」と書いてあるから仕方がありません

仕方がないもなにも、これも確認の仕様がないことです。壷という現物すら確認できないのに、壷が実在し、しかも金の壷でこれはマナの壷である、と言ってはばからないのは早計です。その上、その壷の後ろにこれこれの文字が書いてあると断定することは二重に早計ではないでしょうか。

たとえ実物があって何らかの文字が書いてあったとしても、実物の作られた年代は何時頃なのか、文字の方は彫り込んであるのか、墨で書いてあるのか、とか、それが壷が作られた時に彫られたり書かれたものか、ずっと後に彫られたり書かれたものか、また、その文字の信憑性はどの程度か、等をあらゆる角度から調べる必要があるはずです。    

「十八史略」

これは子供向けの書籍であって、典拠たりうる歴史書ではない、ということです。〔注5〕 このような書物に秦の始皇帝が金の壷をもっていたことが出てきたとしても、それを真剣に受け取らないほうが良さそうですし、たとえ、始皇帝の財宝の中に金の壷があったとしても、それをマナの壷であると考えるのは幻想世界にかなり浸っているということでしょう。


秦の始皇帝 

『神向き讃詞解説』(p146)には次のような「注」が付いています。

始皇帝 (二五九〜二一〇B.C.) ・・・・・・  二二一年(B.C.)に天下を統一、自ら始皇帝と称した。万里の長城を築いたり、支那の歴史を世界最古とするために、日本の古文献等を焼いた、いわゆる焚書坑儒を行ったり、日本を滅ぼすために、除福*らを日本に派遣したことは有名である。  ーー『神向き讃詞解説』p146 *除福の『除』は原文の漢字そのまま》


焚書は書を焼いた事件ですが、坑儒はそれとは別件です。『いわゆる焚書坑儒』と並べているのに、書物を焼いたことだけにしか触れていません。光玉(及び真光)に正確な知識が欠けていたのかもしれません。儒者を生き埋めにしたことも、『日本の古文献湮滅』の一環であると思っていて、信者にもそう暗示したかったのかもしれません。

始皇帝の焚書は「秦以外の諸国の歴史書の焼却」とウィキペディアにはあります。〔注6〕それまで中国大陸でバラバラだった国々を滅ぼして統一した始皇帝は、「滅ぼした六国に関する書物を始末することによって、六国の復活を阻止しようとした」〔注7〕のであって、『支那の歴史を世界最古とするために』行われた、という光玉の(また真光の)説明は現実の歴史からズレていることになります。

始皇帝が『支那の歴史を世界最古とするために、日本の古文献等を焼いた』との説明ですが、「日本が世界最古であることを述べる日本の古文書が存在したのだ」という前提がなくてはこの説明は成立しません。ではその前提には事実に基づいた裏付けがあるのか、と言えば、「ない」のです。その裏付けであるはずの文書はこの時に焼かれてしまったので、証拠がないのは当然、と光玉は思わせたかったのかもしれませんが。光玉の妄想的『世界の正史』ではなく、現実世界の歴史からすれば、その当時『日本が世界最古の国であると記した文書があった』どころか、『日本の国が存在した』とはとても言えないのが実状です。

『日本を滅ぼすために、除福らを日本に派遣したことは有名である』というのも随分妄想的です。始皇帝にとって、国というのは中国大陸でそれぞれ存在していた国々であって、それらを始皇帝は滅ぼしました。徐福は日本では伝説的人物で、東方の地に派遣され、日本に来たとの説が「有名」ですが、派遣の理由は始皇帝が不老不死を求めていたからということです。『日本を滅ぼすため』というのはどこから持ってきた話なのでしょうか。侵略したり滅ぼしたりする対象となる日本という国が当時存在したとするのは根拠のない珍説でしょう。


冒頭の『神向き讃詞解説』の引用部分(p239ー240)に戻ります。

秦の始皇帝が持って逃げた

何時、また、どのような状況で、始皇帝が壷を持って逃げる必要があったのでしょうか。
大国主命

これは神話の人物であって、秦の始皇帝の時代に生きた人物でも、始皇帝の子孫でもありません。〔注8〕あたかも実在の人物であったかのように扱い、歴史と神話をごた混ぜにしています。

その船の形まで今残っており

あたかも自分の目で見て確認しているかのように聞こえますが、これも光玉得意の話法の一例と見てよいでしょう。

御船代祭(みふなしろさい)

この祭りに関する伊勢神宮の説明がここ(http://www.yoitokose.jp/ise/sengu/00005.php)にあります。『御神体』を納める入れ物をさらに入れる容器が船代で、その材料を伐るときに行われる祭りが御船代祭です。これも光玉の説明は現実に基づいてはいず、ましてや、その船(船代)が『今日の技術からみても、立派に大洋を乗り切れる』云々というのは夢の中の話でしょう。




〔注1〕以下のポスト参照。
「日本と世界の歴史」(2008/08)
「超古代史が学問で裏付けられてきて・・・」(2008/09)
「真光の世界とは」(2007/01)
「真光の世界とはー2」(2007/02)
「真光の世界とはー3;偽史が『正史』になる世界」(2007/03)
「真光の世界とはー5;ムー大陸、レムリア大陸」(2007/05)
「真光の世界とはー6;超太古日本ムー大陸」(2007/06)

〔注2〕例;『神向き讃詞解説』より
  ✴・・・ 人間のヒナガタが創られ、そして五色人が発生したのは、霊の元つ国、日本です(前ムー大陸)。 ーーp224
  ✴漢字も、アルファベットも、サンスクリットも皆、日本の神代文字からいっているということは、やがて否定できなくなる時期がくるでしょう。 ーーp201
  ✴・・・ 世界最古の人類発祥地、五大文明・宗教の発祥が日本であり、・・・  ーーp201


〔注4〕『パイオニアDVDを改造して・・・』
46:神社とかでも「ご神体とかは隠してるうちが花で、中身をみたらガクッと祈る気力も失せる(何の変哲もない流木だったり、ヘタすりゃそこらの山から取って来れそうな石ころだったりする)から見ないほうがいい」と忠告されてる・・・・

〔注5〕(http://ja.wikipedia.org/wiki/十八史略)参照。



〔注8〕『神向き讃詞解説』(p239) で光玉は次のように言っている。

  ✴私は、秦の始皇帝の御子孫が大国主命様であるとみています。



ーー火の鳥Phoenix3000