真光と犬の話 - the Mahikari dog story
This post is contributed by 火の鳥phoenix3000. It draws on information from Gotaidanshū (interviews with Okada) and the 30-year Chronicle of Sūkyō Mahikari (both in Japanese) to analyze the Mahikari dog story and the stories surrounding Okada's revelation claims.
真光の教え、教義には、おかしなところや矛盾があちこちにあります。でも、信者は、何のことであれ、教団側の主張が正しくて、岡田と彼に続く教え主の教えに合わないものは「邪神、邪霊の仕業によるもの」「逆法である」、などと教え込まれていますから、変なことを変だと認識するのはなかなか困難なようです。
岡田良一が世界救世教の信者(それも幹部)だったことを隠していましたし、崇教真光ではそれを否定さえしました。「他宗教は勉強、研究しただけ」としています。岡田自身も、昭和34年、高熱による五日間の人事不省から醒めた時、突然、「起て、光玉と名乗れ。手をかざせ。」と神示があったとし、突如、何の前触れもなく、神より、新たな名を賜り、何も知らなかった「手かざし」をするよう命じられたかのような印象を、聞く人に与えます。でも実際には岡田は救世教で「手かざし」には慣れていて、しかも自分のことを「光玉先生」とよばせていた等の事実がわかると、この響きの良い『神示』もかなり疑わしくなります。
アンさんが取り上げた「犬の話」ですが、そんな些細なことにこだわるなんて、と真光信奉者は怒って批難してきそうです。でも、調べてみると、インチキ勲章,天杖、「菩薩の行」終了宣言等と同様に興味深い面が出てきました。
<1> 御対談集 昭和60年 (1985)初版発行
たしか昭和34年の2月27日ですが、私(良一)の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれ。きびしき世となるべし」という声がきこえたのです。
. . . . . . . . . それから「手をかざして人の病気を治せ」と言われるでしょう。
私ははじめ、自分にそんな聖者みたいな真似が出来るとはいくら馬鹿でも考えられない。そんなことを考えるのはそれこそ気違いだ。待てよ、借金返しに夢中で自分は気が変になったのじゃないか、ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間くらいは立ち上がる気は全然しなかった。
ところがふと犬に手をかざしてみたら犬の病気が治っちゃった。それが始まりで、. . . . . (P280 ー昭和49年2月)
<2> 崇教真光30年史 平成元年 (1989)発行
昭和29年、救い主53歳
建設会社の重役をなさる等、ご苦労をされながらも借金返しは殊の外順調に進んでいきました。
神様に詫び、ご先祖に詫び、ひたすら己を捨てた救い主の周辺に、人知人力では及びもつかないことが度々起きての返済であったのです。
声なき声に導かれ、自殺を思い止どまった後、ふとしたことから手をかざして、瀕死の犬を救った頃から、救い主は神霊の世界へ関心を深められ、借金返しのかたわら神の世界の勉強もされていました。 (P66)
岡田が最初に「手かざし」したのが、「犬」だったなんて、ちょっと冴えないけど、アンさんの指摘するように、「手かざし」をまず犬にした、という話は、人と違って、犬には暗示が効かないから、手かざしの効果が「客観的なもの」に聞こえる、という利点はあります。
さて、この犬がどんな状態だったのか、三つの話があるようです。<1>では病気、<2>では瀕死、別のところ(昔の初級研修会)では盲目、手かざしで「目が見えるようになった」というもの。
犬への手かざしの時期は、<1>では昭和34年、「神示の後」となっていますが、<2>では『自殺を思い止どまった後』とありますから、第二次大戦のあと、しかし、あの「神示」より前、つまり昭和34年2月27日以前 、ということになります。というのは、「借金返しのかたわら」とありますが、「借金返済が終了したのは昭和34年1月」と『崇教真光30年史』(P66)にも明記してあるからです。ある真光信奉者のインターネットサイトでは、犬への手かざしは、昭和23年(1948)の出来事になっているそうです。
この犬の話を覚えている方、いらっしゃいませんか。何時頃の出来事で、岡田はどんなふうにこの犬と出会ったのか、犬はどんな状態だったのか、聞いたこととそれを聞いた時期を知らせて頂けませんか。
それにしても、なぜこんなに混沌としているのでしょうか。事実はどこに行ってしまったのでしょうか。
事実を正確に表し、残す、ということは岡田にとっても、その真光(特に崇教真光)にとっても、その関心ごとではないようです。救世教で習った手かざしで、岡田は実際犬にお浄めしたのでしょうか。もしそうだとして、その体験を彼が「神示の話」に絡めたから、食い違いが生じてきたのでしょうか。それとも、もともと架空の話だったんでしょうか。「ふとしたことから」手かざしをした犬が二匹もいたのでは、この話はますます冴えなくなります。
また、< ふとしたことから手をかざして . . . . . . 神の世界の勉強もされていました。> との箇所は岡田の救世教時代のことをにおわせています。崇教ではこう表現して済ませてしまっています。救世教時代のことは、岡田自身が、自分の家族(妻子)のことと同様に、完全に抹殺してしまっています。
なぜでしょう。都合が悪いのでしょうか。都合が悪いことは隠す。では、岡田とその教団が言っていることは、彼らにとって都合がいいから言っているのであって、必ずしも事実を言っているとは限らなくなります。ちなみに、岡田が救世教に所属していたことを公に知らされないのは信者達なのです。
それともう一つ、真光を知っている方なら、ん?変だな、と思われたことでしょう。<1>の最初の部分です。高熱による五日間の人事不省から醒めた時、という『御聖言』と違って、家の神様を拝んでいた時、と岡田は言っているのです。同一人物が、教祖誕生の、最も重要な『神からの最初の啓示』の状況に関して違うことを言っているのです。日付に「たしか」などという言葉も付け加えています。高熱による五日間の人事不省という状態なら、「神懸かり」になる幻覚や妄想が起こりやすい意識状態かな、とも考えたのですが、こうなると、五日間の人事不省という話も、疑わしくなります。
ついでにー 『御聖言』では「最初の啓示」の直後、「この時以後、私は以前にも増して、しばしば神の啓示をいただくようになった。」と言っています。これも、なかなか響きがいいのではありますが、「以前にも増して」ということは、「最初の啓示」の前にも啓示があったのか?との疑問も出てきます。
いや、そういうことではなく、これは立教に関する「最初」の啓示であって、神の啓示は以前からもあったのだ、とします。それがどんな啓示だったのか、聞いて知っている方、いらっしゃいますか。『崇教真光30年史』ではそれらしきことと言えば、<2>の「声なき声に導かれて、自殺を思い止どまった」時ぐらいでしょう。
何処からの声か、ーーお前の先祖の罪えが消えるぞ、消えるぞーー 突然の声なき声。 (P65)との説明があります。
この「声なき声」を「神の啓示」と呼べるでしょうか。守護霊の導きというのなら、なきにしもあらず、ですが。それとも、「最初の啓示」以前の「啓示」が、「ヨのみ霊持ちて娘に与えよ」の紙切れのように、
何処からともなく現れて、信者を納得させてしまうのでしょうか。
岡田は自分の教えを『金口の説法』と称して、一言一句を正しく伝えよ、と言ったけれど、崇教真光では、都合が’悪い箇所は、黙ったまま削除して、そんなものは最初から無かったかのようにするんでしょうね。
よくて、「神の仕組み」「御経綸の変化」と言って済ませてしまうのではないでしょうか。真光では教祖を含めた「教え主」(時に幹部も含む)の言うことが絶対真実であり、信者はそれを擁護すれども、疑問をはさんではいけない心理的束縛がありますから、教えの持つ矛盾には気づかずに、あるいは意識の奥に押し込んで、「霊障、霊障」と自分に言い聞かせながら、「手かざし」に、「お導き(勧誘)」に、と励み続けるのでしょう。
岡田の『神』が、岡田のことを「人類永遠の師」であると人類に押し付けるには、内容がちょっとお祖末過ぎないかな、と思うこの頃です。
真光の教え、教義には、おかしなところや矛盾があちこちにあります。でも、信者は、何のことであれ、教団側の主張が正しくて、岡田と彼に続く教え主の教えに合わないものは「邪神、邪霊の仕業によるもの」「逆法である」、などと教え込まれていますから、変なことを変だと認識するのはなかなか困難なようです。
岡田良一が世界救世教の信者(それも幹部)だったことを隠していましたし、崇教真光ではそれを否定さえしました。「他宗教は勉強、研究しただけ」としています。岡田自身も、昭和34年、高熱による五日間の人事不省から醒めた時、突然、「起て、光玉と名乗れ。手をかざせ。」と神示があったとし、突如、何の前触れもなく、神より、新たな名を賜り、何も知らなかった「手かざし」をするよう命じられたかのような印象を、聞く人に与えます。でも実際には岡田は救世教で「手かざし」には慣れていて、しかも自分のことを「光玉先生」とよばせていた等の事実がわかると、この響きの良い『神示』もかなり疑わしくなります。
アンさんが取り上げた「犬の話」ですが、そんな些細なことにこだわるなんて、と真光信奉者は怒って批難してきそうです。でも、調べてみると、インチキ勲章,天杖、「菩薩の行」終了宣言等と同様に興味深い面が出てきました。
<1> 御対談集 昭和60年 (1985)初版発行
たしか昭和34年の2月27日ですが、私(良一)の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれ。きびしき世となるべし」という声がきこえたのです。
. . . . . . . . . それから「手をかざして人の病気を治せ」と言われるでしょう。
私ははじめ、自分にそんな聖者みたいな真似が出来るとはいくら馬鹿でも考えられない。そんなことを考えるのはそれこそ気違いだ。待てよ、借金返しに夢中で自分は気が変になったのじゃないか、ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間くらいは立ち上がる気は全然しなかった。
ところがふと犬に手をかざしてみたら犬の病気が治っちゃった。それが始まりで、. . . . . (P280 ー昭和49年2月)
<2> 崇教真光30年史 平成元年 (1989)発行
昭和29年、救い主53歳
建設会社の重役をなさる等、ご苦労をされながらも借金返しは殊の外順調に進んでいきました。
神様に詫び、ご先祖に詫び、ひたすら己を捨てた救い主の周辺に、人知人力では及びもつかないことが度々起きての返済であったのです。
声なき声に導かれ、自殺を思い止どまった後、ふとしたことから手をかざして、瀕死の犬を救った頃から、救い主は神霊の世界へ関心を深められ、借金返しのかたわら神の世界の勉強もされていました。 (P66)
岡田が最初に「手かざし」したのが、「犬」だったなんて、ちょっと冴えないけど、アンさんの指摘するように、「手かざし」をまず犬にした、という話は、人と違って、犬には暗示が効かないから、手かざしの効果が「客観的なもの」に聞こえる、という利点はあります。
さて、この犬がどんな状態だったのか、三つの話があるようです。<1>では病気、<2>では瀕死、別のところ(昔の初級研修会)では盲目、手かざしで「目が見えるようになった」というもの。
犬への手かざしの時期は、<1>では昭和34年、「神示の後」となっていますが、<2>では『自殺を思い止どまった後』とありますから、第二次大戦のあと、しかし、あの「神示」より前、つまり昭和34年2月27日以前 、ということになります。というのは、「借金返しのかたわら」とありますが、「借金返済が終了したのは昭和34年1月」と『崇教真光30年史』(P66)にも明記してあるからです。ある真光信奉者のインターネットサイトでは、犬への手かざしは、昭和23年(1948)の出来事になっているそうです。
この犬の話を覚えている方、いらっしゃいませんか。何時頃の出来事で、岡田はどんなふうにこの犬と出会ったのか、犬はどんな状態だったのか、聞いたこととそれを聞いた時期を知らせて頂けませんか。
それにしても、なぜこんなに混沌としているのでしょうか。事実はどこに行ってしまったのでしょうか。
事実を正確に表し、残す、ということは岡田にとっても、その真光(特に崇教真光)にとっても、その関心ごとではないようです。救世教で習った手かざしで、岡田は実際犬にお浄めしたのでしょうか。もしそうだとして、その体験を彼が「神示の話」に絡めたから、食い違いが生じてきたのでしょうか。それとも、もともと架空の話だったんでしょうか。「ふとしたことから」手かざしをした犬が二匹もいたのでは、この話はますます冴えなくなります。
また、< ふとしたことから手をかざして . . . . . . 神の世界の勉強もされていました。> との箇所は岡田の救世教時代のことをにおわせています。崇教ではこう表現して済ませてしまっています。救世教時代のことは、岡田自身が、自分の家族(妻子)のことと同様に、完全に抹殺してしまっています。
なぜでしょう。都合が悪いのでしょうか。都合が悪いことは隠す。では、岡田とその教団が言っていることは、彼らにとって都合がいいから言っているのであって、必ずしも事実を言っているとは限らなくなります。ちなみに、岡田が救世教に所属していたことを公に知らされないのは信者達なのです。
それともう一つ、真光を知っている方なら、ん?変だな、と思われたことでしょう。<1>の最初の部分です。高熱による五日間の人事不省から醒めた時、という『御聖言』と違って、家の神様を拝んでいた時、と岡田は言っているのです。同一人物が、教祖誕生の、最も重要な『神からの最初の啓示』の状況に関して違うことを言っているのです。日付に「たしか」などという言葉も付け加えています。高熱による五日間の人事不省という状態なら、「神懸かり」になる幻覚や妄想が起こりやすい意識状態かな、とも考えたのですが、こうなると、五日間の人事不省という話も、疑わしくなります。
ついでにー 『御聖言』では「最初の啓示」の直後、「この時以後、私は以前にも増して、しばしば神の啓示をいただくようになった。」と言っています。これも、なかなか響きがいいのではありますが、「以前にも増して」ということは、「最初の啓示」の前にも啓示があったのか?との疑問も出てきます。
いや、そういうことではなく、これは立教に関する「最初」の啓示であって、神の啓示は以前からもあったのだ、とします。それがどんな啓示だったのか、聞いて知っている方、いらっしゃいますか。『崇教真光30年史』ではそれらしきことと言えば、<2>の「声なき声に導かれて、自殺を思い止どまった」時ぐらいでしょう。
何処からの声か、ーーお前の先祖の罪えが消えるぞ、消えるぞーー 突然の声なき声。 (P65)との説明があります。
この「声なき声」を「神の啓示」と呼べるでしょうか。守護霊の導きというのなら、なきにしもあらず、ですが。それとも、「最初の啓示」以前の「啓示」が、「ヨのみ霊持ちて娘に与えよ」の紙切れのように、
何処からともなく現れて、信者を納得させてしまうのでしょうか。
岡田は自分の教えを『金口の説法』と称して、一言一句を正しく伝えよ、と言ったけれど、崇教真光では、都合が’悪い箇所は、黙ったまま削除して、そんなものは最初から無かったかのようにするんでしょうね。
よくて、「神の仕組み」「御経綸の変化」と言って済ませてしまうのではないでしょうか。真光では教祖を含めた「教え主」(時に幹部も含む)の言うことが絶対真実であり、信者はそれを擁護すれども、疑問をはさんではいけない心理的束縛がありますから、教えの持つ矛盾には気づかずに、あるいは意識の奥に押し込んで、「霊障、霊障」と自分に言い聞かせながら、「手かざし」に、「お導き(勧誘)」に、と励み続けるのでしょう。
岡田の『神』が、岡田のことを「人類永遠の師」であると人類に押し付けるには、内容がちょっとお祖末過ぎないかな、と思うこの頃です。
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