Sunday, February 24, 2008

真光の神:「『スの神』と呼べ」 - Call me "Su-God"

To the English reader,

Yoshikazu (Kotama) Okada, the founder of Mahikari, said as follows:

"If we classify the religions of the world into two groups, we can say we have, on the one hand, the monotheistic religions, and on the other, the polytheistic religions. In fact, there is no division here. It is correct to say there is one God, Su God, but there are also many gods who were divided from Him. Thus, the fact is that there are many gods at the same time that there is one God." ---- "Daiseishu", English version, p.113

According to him, the truth is that there is one God (which is Su God) and that there are many gods at the same time. In this way, it sounds as if there were no conflicts between monotheistic religions and the polytheistic religions. Is it a profound truth, or is he delirious?

There are no accurate definitions of these two groups to start with. The way he sees them is simply that monotheistic religions claim one God while polytheistic religions many gods. So simple. . . so primitive . . . that he is able to meddle with the words confidently, creating certain illusions as a result.

He also claims this "one God", Su God, is the Creator of everything on heaven and earth, and that this God is the same as Amaterasu-okami, Brahma Deva, or Kannon, Yahweh or Jehovah, Allah, etc.

You may know Okada's claim that his God told him to call Him Su-God.

Do you know another of his claims that his God also told him to make mankind call Him "Su-God" uniformly from now on? According to Okada, his Su-God dislikes the various names used up until now and He is annoyed by them.

Can you imagine what would happen if Mahikari sent out a notice to religious leaders all over the world, saying that the Creator God has recently given their 'holy' founder of Mahikari a new command to make all the religions call Him Su-God, and asking them to call Creator God "Su-God" from now on?

----Phoenix3000


【岡田光玉曰く「一神即多神」】

真光で「スの神」と呼んでいるのは、宇宙天地万物創造の主神(ぬしがみ)で、万物万霊共通の大親神である、と主張しています。この神は仏教では「聖(正)観音」「梵天」、キリスト教では「主(しゅ)」「天の父」「ヤハエ、エホバの神」、神道では「天照(アマテラス)大神」「天之御中主(アメノミナカヌシ)大神」、回教では「アーラの神」等々と各々呼んでいる(『崇教真光30年史』p24)、つまり、同一であるとしています。

さらに、世界の宗教は一神教・多神教・汎神教という三つの範疇に分類することができる、として、次のように説明しています。

  一神教というのは、この世界は天地創造の唯一絶対神が主宰していらっしゃるという考え方になります。多神教というのは、その絶対神がたくさんの神々に変化してご活動され、神霊界のいくつかの次元にわたってそれぞれにご活躍されているというものです。そして、万象悉く神様の霊質を分与されている、すべてが神様のご意志の顕現であり、物質化したものということからいえば汎神ともいえるわけです。
  けれども、神霊界は、一神で多神で汎神で、それで唯一神が最高神であるというのが実相です。これが崇教真光の教義教理の根本にあり、ここが既成の宗教とはっきり違う点の一つです。
  ......(省略)....
  此の度、神様は天地創造の神様のことを「スの神と呼べ」と救い主様にお示し下さっておられます。  ーー『崇教真光30年史』p24−25

崇教真光のこの説明では、真光は一神教・多神教・汎神教を全部含み、どんな宗教にも合い、諸宗教を統合するかのようで、これが他宗教にはない、真光だけの特徴である、と印象付けようとしています。

ここでの一神教・多神教・汎神教という三つの範疇の説明は崇教真光の説明であって、ごく限定された捉え方です。諸宗教を統合するかのように聞こえますが、実は真光の世界観を説明しているに過ぎません。これをもって、一神教・多神教がわかったとするならば、ひどい勘違いになってしまいます。一神教と多神教の概念は、ここでの崇教真光の記述ほど簡単ではありません。教団の説明を鵜呑みにせず、真光の世界から一歩出たところで調べ、考えるべきでしょう。試しに「一神教と多神教」をネットで検索してみるのもよいでしょう。

例えば、一神教とは、唯一つの神だけを認め、信仰の対象とする宗教、との定義があります。すでに認めている神があって成り立っている宗教においては、その宗教で説く神以外の神は、信仰の対象にはならず、場合によっては邪教として排斥もします。「自分のところの神は、あそこの神と同じ天地創造の神だ、呼び名が違うだけだ」と真光が言い張っても、他宗教にそれで通るでしょうか。しかも真光も、自分のところの神こそ一番大元の神である、としているのです。

岡田光玉(本名:岡田良一)は、モウシェ、イエス、釈尊と、頻繁に引き合いに出しますが、マホメットにはほとんど触れません。〔注1〕 マホメット(ムハンマド)の興したイスラ(ー)ム教(今日では回教とはあまり言わないようです)は、キリスト教に次ぐ、世界三大宗教の一つです。イスラム教では『アッラーのほかに神なし』とし、アッラー(アラー、アラーフ)以外の一切の神を否定するとのことです。そこに真光が、「神霊界の実相は一神で多神で汎神で、それで唯一神が最高神です。この最高神の新しいお告げにより、私達はこの神を『スの神』と呼んでいますが、あなた方がアーラの神と呼んでいる方と同じ神です」と説明したら、どうなるでしょう。

一神教・多神教についての光玉の言葉としては、次のものがあります。

  世界の宗教を分類してみると、一神教と多神教とに分かれますが、ほんとうは一つ、主(ス)神は、一神です。一神から分かれている一神即多神で、一神が、本当なのです。 ーー『大聖主』p142

「なんだかわからないけど、神の世界には奥の奥があるそうだから、真理なのだろう」と感心して聞くか、それとも、「この人は訳の分からないことを分かったように自信を持って言っているが、これ、誤摩化しではないの?」と思って聞くか、分かれ道になるところかもしれません。

一神教と多神教の定義もなく、曖昧な言葉でかき回して、「..一神が本当なのです」と結んでも、つかみどころがなく、読み手の描くイメージに頼っています。光玉の言うことは何が何でも真理であるという先入観に捕われていない人にとっては、戯言のように聞こえても当然でしょう。『嘘にて本当にて嘘』といったような光玉の言い回しの類いです。


【「スの神」と呼べ】

「スの神」という呼び名について、光玉は自信満々に、次のように言っています。

  ...神様の名はまたあとで研究しますけど、ミロクだ、天照主だ、メシアだ、何だというのは神様嫌がっておられます。私には「主(ス)と呼べ」と言っておられます。
 (シュテルナー女史「それは宗教には関係なく・・・」)
  どの宗教も「スと言え」とおっしゃっておられます。今は、火の洗礼期で間に合わないから神様も急いでいらっしゃるのがよくわかるんです。だからわれわれの方では「主(ス)」と申し上げてます。
  主(ス)の神。バイブルでは「主(シュ)」ですけど「主(ス)」が本当なんです。  ーー『御対談集』p188

  神様はまた私に、この一番元の芯の神様を「ス(主)と称名せよ」ともおっしゃっております。現在迄この大元の神様を多くの宗教が、それぞれ色々な名前をつけて呼んでおります。これは地域と時代と民族によって、勝手に、人間のほうからお徳を慕ってご称名申しあげたもののみ名で、おのおの変わったり、異なっているだけで、神様としては、いろいろの名前をつけられてうるさいし、誤解するから、今後の人類にはことごとく「ス(主)と称名させよ」といわれているのである。 ーー『神霊界の実相と神経綸』 真光誌263 (昭和59年8月号)p36

これまでに呼ばれた名を嫌がっている、とか、いろいろの名前を付けられてうるさい、というのも、ちょっと次元が低くて、光玉の神は天地創造神らしくない神です。

それはさておき、「スの神と呼べ」と神が光玉に言ったとのことですが、光玉がそう言った、ということだけが確かなことです。天地創造の神が光玉にそう言ったのか、ということになると、実は何の確証もありません。一人の人間の妄想の中で起こったことかもしれません。結局は作り話、つまり捏造なのかもしれません。昭和34年の『最初の啓示』の話と同じです。

現代に天地創造の神が地上の一人の人間を選んで話しかけたなどということを聞いても、人は普通信じません。〔注2〕 でも信者(組み手)は光玉の言葉を事実であるという前提で信じてしまっています。しかしながら、どこまでも光玉という人間が言ったことであって、天地創造の神が光玉にそう言った、と証明する事実はどこにもありません。

不幸にして真光に関わった、たいていの人は、手かざしが効くから、とか、効くみたいだから、ということで、何かあると思い、光玉の説く真光の世界のことを本当のこととして聞く姿勢が出来てしまい、この『真光の業』が、光玉の教義教理を裏付けているとしてしまいます。しかし、「手かざし」が、必ずしも光玉(真光)の説明するようなものではないことを示す事柄が段々と出て来ています。〔注3〕 つまり、手かざしが効くように思えても、それで光玉の言うことが正しいことにはならない、ということです。

「手をかざせ、光玉と名のれ」と命じられたとする昭和34年の『最初の啓示』からして、光玉の主張には現実世界の彼自身の経歴に関した事実との矛盾が見られます。歴史を辿れば、手かざしが自分を通して初めて万人に許されたとする光玉の主張とは合わない、別の事実が出て来ます。御み霊の中味が空でも、御み霊がなくとも、浮霊・霊動現象が起こります。また、似たような現象は真光とは関係ないところでも見られます。しかし、ごく限られた情報、しかも、歪んだ情報で操作されている真光の世界に引き込まれてしまうと、真光以外のところでも同様の現象がある、『真光の業』と呼ぶものには他の説明も可能である、ということを聞いても受け入れられなくなります。ましてや真光は魔の光である、真光こそが集団霊障である、といった、外の世界から真光を見た場合の批判など、考えてみることもできないでしょう。

さて、光玉によれば、天地創造の神は「スの神」と呼べ、今後の人類にはことごとく「スと称名させよ」と言っているとのことですので、仮に、「この度、天地創造の神より、どの宗教でも自分のことを『スの神』と呼ばせるように、とのお達しが真光の創始者を通してありました。従って、今より人類は天地創造の神様を『スの神』と呼んで下さい」と諸々の宗教の指導者に通知を出したとしてみましょう。どういう反応があると思いますか。

「はい、わかりました」と、世界中で、キリスト教徒が「主(シュ)よ」のかわりに、「スよ」「スノカミよ」と呼ぶようになり、イスラーム教徒が、「アラー」のかわりに、「スノカミ」と呼ぶようになりますか?

まずそんなことはあり得ないでしょう。光玉の『スの神』は随分と現実離れした要求をしていることになります。



〔注1〕マホメット(ムハンマド)のことに触れている箇所を一つ見つけました。

   ..伊勢神宮に参りましても、そこのアラマツリノミヤは重大なお宮で、アラミタマ(荒魂)と申し上げておりますが、こちらがヒ=火の方で、内宮の方にはニギミタマ(和魂)として水の方のみ魂をお分けしてある状態です。
   マホメットはこのことを知っていましたから、アーラの神(陽の神)と表現している。アーラは火の回転、陽の神霊の中でも陽の霊の回転、[チョンの印] を中心にして左回転で陽霊ということで、日本のアラミタマから取ったことは明らかです。  ーー『神向き讃詞 解説』p124

 荒魂と和魂に関して、真光色に染まっていない、伝統的な説明がありました。真光の組み手は、光玉や教団が言っていることの方が絶対だとして無視するか、真光は理屈じゃないからそういうことはどうでもいい、手かざしあるのみ、と、それ以上考えないでしょうが。
      
   荒魂とは神の荒ぶる魂であり、天変地異を引き起こし、伝染病を流行らせ、人心を荒廃させて戦争へと駆り立てるのです。これに対して、和魂とは優美で穏やかな魂を指し、人間に自然の恵みをふんだんに与え、人類社会を平和に導くのです。  ーー「新しい日本の歴史」(ここ:http://blog.so-net.ne.jp/nihonnsi/archive/20080114-0--10

 「マホメットはこのことを知っていた」と光玉は明言していますが、マホメット(570年頃ー632年)と日本の神々との接点はどこにあったというのでしょうか。マホメットの意識していたのはユダヤ教やキリスト教です。それに『アラー』の語源も、アラビア語から来ているとのことで、日本のアラミタマから取ったという説はこじつけでしょう。それを光玉は自信を持って「日本のアラミタマから取ったことは明らかです」と宣言しています。

 また、『崇教真光30年史』には、下記の記述があります。

    回教ではマホメットがホ(炎)を名に表現し、アーラ(天陽)の神と称名したのも「神は光なりき」を表しております。 ーー『崇教真光30年史』p26

 マホメットはモハメッドとも表され、最近は標準アラビア語に近い発音ムハンマドで表されるようになったということです。が、モハメッドやムハンマドと表された場合、『ホ』が現れなくなります。「マホメットがホ(炎)を名に表現した」という崇教真光の言霊の説明(光玉がどこかでそう説いていたのでしょうが)は成立しなくなります。また、アラーというのも、アラビア語で、神、賛美といった意味があるようですが、「光」という意味はありませんでした。ご自分でも調べてみるとよいでしょう。

〔注2〕宗教界の権威者達による「真の道」の天杖でも光玉の『み魂』が裏付けられたという、光玉(真光)の主張をそのまま事実として信じている組み手がそのことを説明した書き込みがありました。この天杖という神伺いの件に関しても、明らかな嘘が混じっていて、この『神託』が客観的な裏付けになるとはとても言えません。現実の事実を聞いても、信者は「批判派は知らないからだ」と言ってはねつけ、信者の頭の中では、真光の主張の方が事実になってしまっている見本です。この書き込みに対し、次の書き込みがありました。

    神の神示というけど、事実だと証明できるか。たとえば俺が神の神示があったと言ってもお前は信じないだろう。
    俺も光玉の言うことは精神異常者の戯言としか言いようがない。当然お前もだ。   ーー真光関係者集合(50)-989

〔注3〕大本教から発展した世界救世教の浄霊が真光以前からありましたし、似たようなものとして、霊気、気功、ハンドヒーリング等があります。また、手かざしの効果としては、暗示・催眠効果、プラシーボ効果等、が考えられます。次の書き込みも参考になるでしょう。
 
    最近、手かざしとは「催眠効果によるインチキ霊動」と「偶然の治療をあたかも手かざしの効果であるかのごとく思い込ませる手口」が明白になりました。 ーー真光関係者集合(50)-616
     
    催眠誘導的なものじゃないかって意見もあるね。
    なんにしても、霊動が出るから真光が正しいってことにはならん・・・ 
    霊動?だから何?でいいんじゃなかろうか。  ーー真光関係者集合(50)-752


ーー火の鳥Phoenix3000

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