真光の世界とはーその6:超太古日本ムー大陸 (World of Mahikari, Part 6)
Part 6 of the world of Mahikari series, contributed by phoenix3000, discusses ultra-ancient Japan, the continent of Mu.
真光の教祖岡田光玉(より正確に言えば、世界真光文明教団の創設者。『崇教真光』は光玉の死後、二代教え主の就任をめぐる裁判で敗訴した恵珠によって1978年に設立された教団)も、すっかりチャーチワードの話法に乗せられてしまったようです。『上級研修用テキスト(昭和58年版)』には、全部で76ページのうち13ページが『第四 ムー大陸』に割り当てられています。ここにはチャーチワードの本、『失われたムー大陸』からの引用が載っていますが、『トロアノ古写本』『ラサ記録』『イースター島碑文』からの引用文も含められています。これらに根拠がないことについては前回で扱いました。
世界最古の人類発生地は日本である、というのが光玉(良一)の主張です。元々は竹内文献といった類いから持って来たものと思われますが、光玉はその出所を明らかにしないので、ここでは『光玉』としておきます。
チャーチワードは、ムー大陸こそ人類誕生の地である、”エデンの園”のムー大陸、と述べています。(上級研修テキストP20)そこで光玉は、ムー大陸の西端を日本にまで延長、ムー=日本としています。これまでに引用した部分の中でも、光玉は言っています。
ムー大陸は約一万二千年前に、一夜にして太平洋に没したとあります。すなわち、日本の国の東の大部分がちぎれて、今日では太平洋に陥没しているのです。 ーー『神向き讃詞解説』P294−295
ムー大陸はレムリア大陸と続いており、今日の日本とも一体で、 ....ーー『神向き讃詞解説』 P295
日本の太古文献でミューといっていた日本はムーだったといえます。ーー『神向き讃詞解説』 P296
ムー=日本とすれば、人類の発生地=エデンの園=ムー大陸=日本=天国(アマグニ)=高天原、と繋がります。ただし、これは現実の事実上の繋がりではなく、あくまで「お話(ファンタジーの類)」の上での繋がりです。
また、{「人間が地上に最初に現われた所はムー大陸であり、そのために特に ”クイの国” (女神マヤの生地の意)とも呼ばれた」『トロアノ古写本』(上級研修テキストP20)}とチャーチワードが言っていることに呼応させて、光玉は次のように言っています。
太陽帝国といっているムーは、また「クイの国」ともいっております。ムー大陸の本の中にもクイという部分が出てきます。それで非常におもしろいと思うことは、法滅尽経の中に、釈尊がクイガ国(拘夷郡竭国)にあったということが出ていることです。このところは、大僧正や仏教学者に聞いてみても一向にわからないところですが、「クイガ国」とは、つまりは日本のことなので、そうすればこれらの経文の謎も解けてくるわけです。 ーー『神向き讃詞解説』 P297
『ムー帝国』では、色々な人種が平和に暮らしていた、エデンの園だった、人種的差別は一切なかった、とチャーチワードは言っていますが、同時に白人種が中心になっていた、としています。一方光玉は、神代の天国と言いつつ、オオビト、即ち、『霊の元つ国の日本人』を『本家』として世界人類(五色人)の頂点に置いています。光玉の『神』も『御聖言』の中で、五色人の創造と、日本人の、この特別な意義について語っています。日本人を示すオオビト(黄人)に『王』という字さえ使われています。
二つには、神初め五つの色人をつくりなせしを知らせあるべし。黄、赤、白、青、黒(紫)人なり。然して、黄人(きびと)に更に本家(もとけ)分家(えだけ)とや申すべき、黄人(おおびと)と黄人(きびと)あり。汝が住む日本(ひのもと)と申す地は霊の元つ国にて、 (略)...ここには黄(王)人を置き、全世界五色人(いろびと)を枝・支人(えだびと)と致して分け派(つか)わし配り弘ごらせ、スベルのみ役(スメラ)を現界統治 (このよとうち)の神代行者(かみかわり)として置きし不二の地なれば、五色人(いろびと)に対(むか)いて霊籍(ひせき)の基人(もとびと)なりしを、 .(略) ーー『御聖言』 (昭和48年発行)---人類よ霊籍を明かなとなせ P457ー458
チャーチワードの『ムー帝国』では「国王を選出」(上級研修テキストP19)、国民によって選ばれた者は、やがて最高の神官ラ・ムーとなり、宇宙を創造した天帝の代理者となるが、あくまでも神ではなく、聖なる存在ではあったが、神ではなかったから、神として崇拝することは禁じられていた、(上級研修テキストP20、21)とあります。
国民によって選ばれる、ムー帝国の国王と、『現人神』である、と光玉が崇拝する、万世一系の天皇(スメラミコト)と、どういう関係で結びつくのか、はなはだ疑問です。全く性質が違います。スメラミコトは「国民の選出」などとは全くかけ離れた世襲制のものです。スメラミコトに関する光玉の教えの一部を見てみましょう。ムー帝国の国王と共存させるのにはひどく無理がありませんか。
天照日大神様は、..(略)..この神様の時代において、人類界を統治するためのスメラミコト=今日でいう天皇を、地上にただ一人おくことを定められております。ーー真光誌264 昭和59年 (1984)9月号P27
...天日豊本葦牙気皇主身光大神(あめひとよもとあしかびきみぬしみひかりおほかみ)様は、皇統第一代のスメラミコトにご即位され、はじめて現人神としてのスメラミコトが誕生されたわけです。 ーー同上P30
皇統は、この第一代のスメラミコトから現在の天皇まで連綿として続いて来ておりまして、現在の天皇陛下は、実は皇統の千二百数十代目の天皇になっておられるのです。ーー同上P30
神が自分を選んだ、として、自分を『天地創造神の地上代行者』にしてしまった光玉は、自分を神と人類(実際には信者)との間に位置付け、天地創造の『ス神』と通じていて、神の奥の奥の世界を知る、絶対権威者である、と信者に描いて見せ、己を神格化していきました。その彼を崇教真光では神として、あるいは神々と同列に扱っています。『スの大御神(親神)様』の次に、『御祖師・救い主様』と、ことあるごとに並べ、『師恩』を強調して、光玉を崇めさせます。普通に言えば「亡くなった」ということですが、光玉の死亡になると、『神幽(かみさ)った』『天界に帰った』(真光誌356 P17)と表現しています。1992年には彼のために中南米の「ティカールの神殿」を模倣した奥津城を建て、ティカールは光である、という光玉の言葉遊び(光玉はこれを『言霊』と呼びましたが)を取り上げて、『光神殿』とさえ名付けました。
本題に戻りましょう。『霊の元つ国日本』を掲げる光玉は、チャーチワードのムー帝国を取り入れようとしていますが、どうもしっくりきません。結局は、根拠のないものを、根拠があるように見せている別の根拠のないものを借り入れて、根拠があるように見せようとしているからではないでしょうか。
ある方はこんなふうに言っています。
ムーの存在は仮説に過ぎない。仮説を事実と仮定して作った話に信憑性はない。ーー真光関係者集合(44)-71
光玉が一番利用したかった部分は、「花咲き乱れる、天国のような理想国家、ムーが、神の怒りに触れ、一夜にして、大洋の水泡と消え去ってしまった」との部分だったのかもしれません。つまり、平和と崩壊が大きな対比をなし、破壊されることへの恐怖が一層強まる効果です。実際に起こった出来事である、との触れ込みの『大天変地異』を取り込んで、神の怒りが原因で『大天災』が起こった、神の怒りにより、同じような大天災に人類は向かっている、と信者に語ることで、信者の恐怖心を奥深いものにし、そこに、真光こそ、『唯一の救い』と深く植え込む効果をねらったのでしょう。
恵珠もそれを引き継いで、その教えの中に使っています。
トンデモムーに満ちている光神殿
「栄光の光神殿 岡田恵珠(聖珠)師御教示選集II」述者 岡田恵珠(聖珠)師 編集 崇教真光 発行所 (株)L・H陽光出版 平成五年四月 十日 初版発行
P118 昭和六十一年度六月度 月始祭 神の光は太平洋を越えて
救い主様のお示しのごとく、超太古日本ムー大陸から全世界に派遣されましたマヤ人は、次々と太陽神を祀る太陽神殿・日(霊)来神堂を建設していったわけでございます。
P185−187二十七周年秋季大祭 霊主立体文明建設へ
一万二千年前、人類の我と慢心の結果、太平洋に沈没した幻のムー大陸は、今日の人類界の様相と酷似しておりました。このまま現代社会が唯物文化を押し進めてまいりますならば、遠からず大自然は破壊し尽くされ、ムーやアトランティスの悲劇を繰り返してしまうことになりましょう。
ムー大陸が沈没した時、その子孫のマヤ人は、ヤマトの日本にも中南米にも逃げのびまして、新たなマヤ文明を建設したのでありますが、やがてそのマヤ文明も戦いによって失われ、今日、”澆季末世” ”混沌混迷の世”をむかえるに 至っております。ーー真光被害報告掲示板 5067
ムー大陸は想像の産物と見るほうが現実的、客観的な見方でしょう。この架空の大陸から全世界に派遣されたというマヤ人、そしてこの架空の大陸の沈没時に日本や中南米に逃げ延びたというマヤ人と、実際に中南米に存在したマヤ人とが、真光では一緒くたになっています。マヤ文明やピラミッドを含めたマヤ遺跡が実際にどういうものであったのか、などという現実の世界に即した考証は真光の世界では必要がないのです。「今も謎に包まれている」のであれば、光玉や教団(教え主)が勝手なことをいっても、信者にはそれで通るのです。そして信者は、『アトランティス人の集団霊障』とともに、ムーやアトランティスの架空の『悲劇』に怯え、『その悲劇を繰り返さないように』手かざしに頑張り、『スの神』に仕えなくてはならない(=教団に奉仕する)...ということになるのです。
崇教真光で『救い主』というのは光玉のことです。日本は人類発祥の地であり、最も古い文明を持った国である、日本=ムー大陸、といった光玉の教えに基づいて、恵珠はその教示の中に『超太古日本ムー大陸』と一繋がりにした表現を用いています。随分華々しく聞こえますが、『超太古』というのは曖昧で、実体はありません。『超古代』についての光玉の記述の一部をここに紹介しておきましょう。
超古代というのは、その初めは何百億年もの以前と思いますが、人類の歴史としては、古文献などからみても、まず百億年とみればよいのではないかと思います。ムー大陸を基準にしても、一億数千万年前ということになります。 ーー『神向き讃詞解説』P574
億という単位が使われ、壮大な歴史を述べているように聞こえるかもしれませんが、この記述のどこに現実味を伴った事実が含まれていますか。信者なら、「よくわからないけれど、深遠なことが語られているのだろう」と思い、それ以上考えないでしょうが、真光色で染められていない人には意味を成さず、「この人、正常?」と疑いたくなるような記述だと思いませんか。
初級・中級研修を再聴講し、様々な名目でお金を教団に『奉納』することにも慣れ、一生懸命真光の世界に人を勧誘し、受講資格を得るのに必要な『お導き(勧誘)人数』の条件を満たし、高額のお金を納めて、上級研修に辿り着き、『許されて』受講すると、こういったトンデモ類を聞かされることになります。そこに達するまでに相当マインド・コントロールが進んでいます。史実と神話・おとぎ話との区別も曖昧になってきています。『本当のこと』と『嘘のこと』も光玉の教えによって逆転さえしています。そして、一般の人が知らないこと、奥義を学んでいる気にさせられます。金もたくさん出しているし、相当な努力をして研修までこぎ着けた、という思いも手伝います。
周囲の信者は一様に感激しているし、その集団の雰囲気に飲まれてしまいます。教えを疑ったり、異議を唱えれば、『霊層が低い』『邪霊の仕業だ』『我が強い』『人知で考える』等になってしまいますから、変だという内なる声があっても押さえつけます。次から次へと浴びせられる、「おめでとう」という言葉に励まされ、結局、『御み霊昇格が許された』ことに気を良くすることになります。[東京が一億年前にトウキョウと呼ばれていた、というトンデモないことを聞いた、金返せ]というふうに目覚めるのはそう簡単ではありません。
ところで、上級研修の時会場に展示される『ムーの遺跡物』とやらは、あれは何だったのでしょう。
光玉にとって、それらが本物であるかどうかなど、どうでもよかったのではないか、『遺跡物である』と言って、信者を印象付ければよかったのではないか、と今は思います。彼自身も、自分が信じて、こうだと言えば、それが『事実』になる、と思い込んでしまったのかもしれません。光玉の主張通りに、真光の業を、神の光である、神や霊、霊障の実在を証明するものである、と信じ込んで付いて来る信者たちは、光玉が『神の地上代行者』である、との前提が出来ているから、彼の『ことば』をそのまま受け入れ、それ以上は考えない、だから、今で言うところの、とんでも類だって、何だってかまわなかった、自分の主張に都合の良いものを都合の良いように取り込んで、『これが実は本当の話である』と説いたのではないでしょうか。
ーー火の鳥Phoenix3000
真光の教祖岡田光玉(より正確に言えば、世界真光文明教団の創設者。『崇教真光』は光玉の死後、二代教え主の就任をめぐる裁判で敗訴した恵珠によって1978年に設立された教団)も、すっかりチャーチワードの話法に乗せられてしまったようです。『上級研修用テキスト(昭和58年版)』には、全部で76ページのうち13ページが『第四 ムー大陸』に割り当てられています。ここにはチャーチワードの本、『失われたムー大陸』からの引用が載っていますが、『トロアノ古写本』『ラサ記録』『イースター島碑文』からの引用文も含められています。これらに根拠がないことについては前回で扱いました。
世界最古の人類発生地は日本である、というのが光玉(良一)の主張です。元々は竹内文献といった類いから持って来たものと思われますが、光玉はその出所を明らかにしないので、ここでは『光玉』としておきます。
チャーチワードは、ムー大陸こそ人類誕生の地である、”エデンの園”のムー大陸、と述べています。(上級研修テキストP20)そこで光玉は、ムー大陸の西端を日本にまで延長、ムー=日本としています。これまでに引用した部分の中でも、光玉は言っています。
ムー大陸は約一万二千年前に、一夜にして太平洋に没したとあります。すなわち、日本の国の東の大部分がちぎれて、今日では太平洋に陥没しているのです。 ーー『神向き讃詞解説』P294−295
ムー大陸はレムリア大陸と続いており、今日の日本とも一体で、 ....ーー『神向き讃詞解説』 P295
日本の太古文献でミューといっていた日本はムーだったといえます。ーー『神向き讃詞解説』 P296
ムー=日本とすれば、人類の発生地=エデンの園=ムー大陸=日本=天国(アマグニ)=高天原、と繋がります。ただし、これは現実の事実上の繋がりではなく、あくまで「お話(ファンタジーの類)」の上での繋がりです。
また、{「人間が地上に最初に現われた所はムー大陸であり、そのために特に ”クイの国” (女神マヤの生地の意)とも呼ばれた」『トロアノ古写本』(上級研修テキストP20)}とチャーチワードが言っていることに呼応させて、光玉は次のように言っています。
太陽帝国といっているムーは、また「クイの国」ともいっております。ムー大陸の本の中にもクイという部分が出てきます。それで非常におもしろいと思うことは、法滅尽経の中に、釈尊がクイガ国(拘夷郡竭国)にあったということが出ていることです。このところは、大僧正や仏教学者に聞いてみても一向にわからないところですが、「クイガ国」とは、つまりは日本のことなので、そうすればこれらの経文の謎も解けてくるわけです。 ーー『神向き讃詞解説』 P297
『ムー帝国』では、色々な人種が平和に暮らしていた、エデンの園だった、人種的差別は一切なかった、とチャーチワードは言っていますが、同時に白人種が中心になっていた、としています。一方光玉は、神代の天国と言いつつ、オオビト、即ち、『霊の元つ国の日本人』を『本家』として世界人類(五色人)の頂点に置いています。光玉の『神』も『御聖言』の中で、五色人の創造と、日本人の、この特別な意義について語っています。日本人を示すオオビト(黄人)に『王』という字さえ使われています。
二つには、神初め五つの色人をつくりなせしを知らせあるべし。黄、赤、白、青、黒(紫)人なり。然して、黄人(きびと)に更に本家(もとけ)分家(えだけ)とや申すべき、黄人(おおびと)と黄人(きびと)あり。汝が住む日本(ひのもと)と申す地は霊の元つ国にて、 (略)...ここには黄(王)人を置き、全世界五色人(いろびと)を枝・支人(えだびと)と致して分け派(つか)わし配り弘ごらせ、スベルのみ役(スメラ)を現界統治 (このよとうち)の神代行者(かみかわり)として置きし不二の地なれば、五色人(いろびと)に対(むか)いて霊籍(ひせき)の基人(もとびと)なりしを、 .(略) ーー『御聖言』 (昭和48年発行)---人類よ霊籍を明かなとなせ P457ー458
チャーチワードの『ムー帝国』では「国王を選出」(上級研修テキストP19)、国民によって選ばれた者は、やがて最高の神官ラ・ムーとなり、宇宙を創造した天帝の代理者となるが、あくまでも神ではなく、聖なる存在ではあったが、神ではなかったから、神として崇拝することは禁じられていた、(上級研修テキストP20、21)とあります。
国民によって選ばれる、ムー帝国の国王と、『現人神』である、と光玉が崇拝する、万世一系の天皇(スメラミコト)と、どういう関係で結びつくのか、はなはだ疑問です。全く性質が違います。スメラミコトは「国民の選出」などとは全くかけ離れた世襲制のものです。スメラミコトに関する光玉の教えの一部を見てみましょう。ムー帝国の国王と共存させるのにはひどく無理がありませんか。
天照日大神様は、..(略)..この神様の時代において、人類界を統治するためのスメラミコト=今日でいう天皇を、地上にただ一人おくことを定められております。ーー真光誌264 昭和59年 (1984)9月号P27
...天日豊本葦牙気皇主身光大神(あめひとよもとあしかびきみぬしみひかりおほかみ)様は、皇統第一代のスメラミコトにご即位され、はじめて現人神としてのスメラミコトが誕生されたわけです。 ーー同上P30
皇統は、この第一代のスメラミコトから現在の天皇まで連綿として続いて来ておりまして、現在の天皇陛下は、実は皇統の千二百数十代目の天皇になっておられるのです。ーー同上P30
神が自分を選んだ、として、自分を『天地創造神の地上代行者』にしてしまった光玉は、自分を神と人類(実際には信者)との間に位置付け、天地創造の『ス神』と通じていて、神の奥の奥の世界を知る、絶対権威者である、と信者に描いて見せ、己を神格化していきました。その彼を崇教真光では神として、あるいは神々と同列に扱っています。『スの大御神(親神)様』の次に、『御祖師・救い主様』と、ことあるごとに並べ、『師恩』を強調して、光玉を崇めさせます。普通に言えば「亡くなった」ということですが、光玉の死亡になると、『神幽(かみさ)った』『天界に帰った』(真光誌356 P17)と表現しています。1992年には彼のために中南米の「ティカールの神殿」を模倣した奥津城を建て、ティカールは光である、という光玉の言葉遊び(光玉はこれを『言霊』と呼びましたが)を取り上げて、『光神殿』とさえ名付けました。
本題に戻りましょう。『霊の元つ国日本』を掲げる光玉は、チャーチワードのムー帝国を取り入れようとしていますが、どうもしっくりきません。結局は、根拠のないものを、根拠があるように見せている別の根拠のないものを借り入れて、根拠があるように見せようとしているからではないでしょうか。
ある方はこんなふうに言っています。
ムーの存在は仮説に過ぎない。仮説を事実と仮定して作った話に信憑性はない。ーー真光関係者集合(44)-71
光玉が一番利用したかった部分は、「花咲き乱れる、天国のような理想国家、ムーが、神の怒りに触れ、一夜にして、大洋の水泡と消え去ってしまった」との部分だったのかもしれません。つまり、平和と崩壊が大きな対比をなし、破壊されることへの恐怖が一層強まる効果です。実際に起こった出来事である、との触れ込みの『大天変地異』を取り込んで、神の怒りが原因で『大天災』が起こった、神の怒りにより、同じような大天災に人類は向かっている、と信者に語ることで、信者の恐怖心を奥深いものにし、そこに、真光こそ、『唯一の救い』と深く植え込む効果をねらったのでしょう。
恵珠もそれを引き継いで、その教えの中に使っています。
トンデモムーに満ちている光神殿
「栄光の光神殿 岡田恵珠(聖珠)師御教示選集II」述者 岡田恵珠(聖珠)師 編集 崇教真光 発行所 (株)L・H陽光出版 平成五年四月 十日 初版発行
P118 昭和六十一年度六月度 月始祭 神の光は太平洋を越えて
救い主様のお示しのごとく、超太古日本ムー大陸から全世界に派遣されましたマヤ人は、次々と太陽神を祀る太陽神殿・日(霊)来神堂を建設していったわけでございます。
P185−187二十七周年秋季大祭 霊主立体文明建設へ
一万二千年前、人類の我と慢心の結果、太平洋に沈没した幻のムー大陸は、今日の人類界の様相と酷似しておりました。このまま現代社会が唯物文化を押し進めてまいりますならば、遠からず大自然は破壊し尽くされ、ムーやアトランティスの悲劇を繰り返してしまうことになりましょう。
ムー大陸が沈没した時、その子孫のマヤ人は、ヤマトの日本にも中南米にも逃げのびまして、新たなマヤ文明を建設したのでありますが、やがてそのマヤ文明も戦いによって失われ、今日、”澆季末世” ”混沌混迷の世”をむかえるに 至っております。ーー真光被害報告掲示板 5067
ムー大陸は想像の産物と見るほうが現実的、客観的な見方でしょう。この架空の大陸から全世界に派遣されたというマヤ人、そしてこの架空の大陸の沈没時に日本や中南米に逃げ延びたというマヤ人と、実際に中南米に存在したマヤ人とが、真光では一緒くたになっています。マヤ文明やピラミッドを含めたマヤ遺跡が実際にどういうものであったのか、などという現実の世界に即した考証は真光の世界では必要がないのです。「今も謎に包まれている」のであれば、光玉や教団(教え主)が勝手なことをいっても、信者にはそれで通るのです。そして信者は、『アトランティス人の集団霊障』とともに、ムーやアトランティスの架空の『悲劇』に怯え、『その悲劇を繰り返さないように』手かざしに頑張り、『スの神』に仕えなくてはならない(=教団に奉仕する)...ということになるのです。
崇教真光で『救い主』というのは光玉のことです。日本は人類発祥の地であり、最も古い文明を持った国である、日本=ムー大陸、といった光玉の教えに基づいて、恵珠はその教示の中に『超太古日本ムー大陸』と一繋がりにした表現を用いています。随分華々しく聞こえますが、『超太古』というのは曖昧で、実体はありません。『超古代』についての光玉の記述の一部をここに紹介しておきましょう。
超古代というのは、その初めは何百億年もの以前と思いますが、人類の歴史としては、古文献などからみても、まず百億年とみればよいのではないかと思います。ムー大陸を基準にしても、一億数千万年前ということになります。 ーー『神向き讃詞解説』P574
億という単位が使われ、壮大な歴史を述べているように聞こえるかもしれませんが、この記述のどこに現実味を伴った事実が含まれていますか。信者なら、「よくわからないけれど、深遠なことが語られているのだろう」と思い、それ以上考えないでしょうが、真光色で染められていない人には意味を成さず、「この人、正常?」と疑いたくなるような記述だと思いませんか。
初級・中級研修を再聴講し、様々な名目でお金を教団に『奉納』することにも慣れ、一生懸命真光の世界に人を勧誘し、受講資格を得るのに必要な『お導き(勧誘)人数』の条件を満たし、高額のお金を納めて、上級研修に辿り着き、『許されて』受講すると、こういったトンデモ類を聞かされることになります。そこに達するまでに相当マインド・コントロールが進んでいます。史実と神話・おとぎ話との区別も曖昧になってきています。『本当のこと』と『嘘のこと』も光玉の教えによって逆転さえしています。そして、一般の人が知らないこと、奥義を学んでいる気にさせられます。金もたくさん出しているし、相当な努力をして研修までこぎ着けた、という思いも手伝います。
周囲の信者は一様に感激しているし、その集団の雰囲気に飲まれてしまいます。教えを疑ったり、異議を唱えれば、『霊層が低い』『邪霊の仕業だ』『我が強い』『人知で考える』等になってしまいますから、変だという内なる声があっても押さえつけます。次から次へと浴びせられる、「おめでとう」という言葉に励まされ、結局、『御み霊昇格が許された』ことに気を良くすることになります。[東京が一億年前にトウキョウと呼ばれていた、というトンデモないことを聞いた、金返せ]というふうに目覚めるのはそう簡単ではありません。
ところで、上級研修の時会場に展示される『ムーの遺跡物』とやらは、あれは何だったのでしょう。
光玉にとって、それらが本物であるかどうかなど、どうでもよかったのではないか、『遺跡物である』と言って、信者を印象付ければよかったのではないか、と今は思います。彼自身も、自分が信じて、こうだと言えば、それが『事実』になる、と思い込んでしまったのかもしれません。光玉の主張通りに、真光の業を、神の光である、神や霊、霊障の実在を証明するものである、と信じ込んで付いて来る信者たちは、光玉が『神の地上代行者』である、との前提が出来ているから、彼の『ことば』をそのまま受け入れ、それ以上は考えない、だから、今で言うところの、とんでも類だって、何だってかまわなかった、自分の主張に都合の良いものを都合の良いように取り込んで、『これが実は本当の話である』と説いたのではないでしょうか。
ーー火の鳥Phoenix3000
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