真光の背景(1): 心霊研究、千鳥会、大峰老 仙、天杖
Phoenix3000 has kindly provided this Japanese translation of Part 1 of the "Mahikari in Context" post from May 29.
アンさんのポストの翻訳で す。ーー火の鳥Phoenix3000
崇教真光では、岡田良一(光玉)のヨのみ役を説明した、ということで、塩谷信男博士の名と大峰老仙という霊の名を挙げています。研修テキストにある説明は「昭和23年12月24日に大峰老仙より塩谷博士が神示受けされていた説明である」と、崇教真光の初級研修用テキストにあります。
崇教真光の中級研修用テキストには、良一のヨのみ役と天杖について、
救い主(岡田良一)のご神命については、御神示をいただかれた救い主ご自身が驚かれたほどですから、いわば正統を任じている、神道界の一部の方々が驚嘆したのも、無理のないことでした。... 「救い主の『み魂』や『み役』について神伺いしてもよいか」との提議がなされ、...救い主のご神命について、「天杖」(棒に筆が付いていて自動書記を行う)の御神示の一部を基にして、概要だけを記させて頂きます。
と書かれています。この引用部分は、塩谷信男(1902− )と荻原真(1910−1981) (「真の道」創始者)によって、1947年頃設立された心霊研究グループ「千鳥会」と良一とが関係していたことを明白に示す証拠です。
以前のポストでも触れましたが、「真の道」という団体は、戦後の日本における新興宗教の一つで、天杖という占いの方法を用い、大峰老仙と呼ばれる霊より『神示』を受け取りました。日本の新興宗教について論じる様々なウェ ブサイトで、この「真の道」と良一との繋がりが言及されています。また、1960年6月に良一の「み魂伺い」の天杖を行ったのは、「真の道」の人々である、との証拠が真光関係のインターネットサイトで示されています。
なぜ良一が新しい宗教の設立を決め、何が彼の教えを形成したのかを知ろうと情報を探し続けていくなかで、塩谷信男、大峰老仙、天杖についての情報も探してきました。その過程において、真光というグループが起こった、歴史的社会的背景に関する情報に出くわしました。様々な人物と宗教との数多い繋がりを扱うには一連の書き物が必要です。この初回では、千鳥会と大峰老仙に焦点を当てましょう。
「神理研究会」というグループの代表によって維持されているウェブ・サイトに役立つ資料があります。ここは、特定の宗教に偏らない、と言っていて、日本の様々な宗教の教祖達によって書かれた資料から広範囲に引用がなされています。このウェブ・サイトによると、千鳥会は塩谷信男と荻原真の二人により、心霊を研究する目的で設立された会で、霊界のことを学び、神霊の導きを得るために、霊媒や天杖を含めた、心霊的手段を使用した研究に焦点があったようです。千鳥会それ自体は宗教の形式をとらず、その集会参加者には、世界救世教や生長の家といった、様々な新興宗教の信者がいました。
岡田良一が千鳥会の集会に出席したというはっきりとした証拠はありませんが、可能性としては考えられます。良一は千鳥会が設立された頃(1947年頃)世界救世教の信者でした。
このウェブ・サイトには、荻原が意図的にトランス状態に入り、彼を通して大峰老仙の『神霊』が話し、塩谷の質問に答える様子を描いた記述があります。この大峰老仙が様々な人物に様々な方法で『啓示』を与えた、ということです。(この『霊』の影響について、もっと書いていく予定です。)さしあたって手短かに言うと、1947年から1955年の8年間に渡って、この霊から神示を受けた、と塩谷は言っています。岡田良一が世界救世教の信者であったことを否定する富田氏の手紙(英語/日本語訳はここ)の中で、彼が手かざしの実践者として名を挙げている福田くらも、大峰老仙から神示を受けたと言っています。それに加えて、五井昌久も大峰老仙からの神示を基に、白光真宏会を設立したそうです。千鳥会そのものも、荻原を通して啓示された神意に沿って設立されたということです。
岡田良一のヨに関するみ役についての説明を大峰老仙が伝えたと崇教真光の研修用テキストにあることはすでに知っています。ヨニマス大天津神の働きを現界にて代行する役、神業を手伝うヨニマスハラの役、悪の世から善の世に作り変えんとするカラマラの働き、神の理想通りの真の大和世界を打ち建てんとするためのヨニマス大天津神。
ここに述べられているのは大変重要な事柄です。大峰老仙とは、たとえばキツネの霊といったものではなく、神霊である、とはっきりした確信がなければなりません。
この時点で、脇道にそれて、このサイト(英語)を 見ることを提案しましょう。ここでは、観念運動(自分でやったのではない、と心より思える行為)に対し、超常現象で説明すると、いとも簡単にだまされてしまうことについて述べられています。
話を元に戻します。岡田良一のヨのみ役についての説明は、1948年12月24日に大峰老仙より塩谷博士が受けたと研修用テキストにあります。しかしながら、良一は、宗教活動というより、戦争時の負債を返済するのに忙しかった、彼が立教に関する最初の啓示を受けたのは1959年2月だった、と崇教真光では言っています。ヨのみ役について神が良一に告げたという啓示は1959年5月15日の日付がついています。これはどういうことでしょうか。1959年5月15日の後で良一は塩谷に連絡を取り、ヨの意味について何か知っていないか、尋ねたのでしょうか。塩谷は、あとで誰か知る必要が出て来た場合のために、大峰老仙からの神示の詳細を記録し、日付を書き込んでおいたのでしょうか。
良一と塩谷との関係は良一が世界救世教の幹部職を解雇された後、すなわち、早くても1953年の後で始まった、と最近まで思っていました。世界救世教の信者が千鳥会の集会に出席していたことを知る前のことでした。ひょっとして良一は千鳥会の集会に1948年という早い時期にすでに出席していたとも考えられないでしょうか。
良一と千鳥会の活動とをつなげる直接の証拠は見つかっていません。塩谷の影響は後のことであるとも充分考えられます。でも、塩谷が大峰老仙より受け取った、他の『神示』も見てみることには興味をそそられます。
下記は1947年頃大峰老仙より授かったと塩谷が言う神示の一部です。(以下四つの引用部分は神理研究会ウェブ・サイトから)
「あのな、人間はな、長いこと間違ったことをやり続け、魂も肉体も汚れてしまった。ところが『時』が来て、この罪汚れがごしごし拭い落とされることになっ た。また、地球も汚してしまったから、これも洗い浄められ、修理されることになった。ここでいろいろな天変地異が起こってくる。人間もたくさん死ぬが、こ の大禊で魂も肉体も浄められた人が生き残る。そしてきれいになった地球に本当の和の天国を創ることになる」
聞き覚えがあると思いませんか。良一の教えと全く同じ言葉ではありませんが、世界の未来に関して意味するところは良一の教えと全く同じものです。
別の箇所では、大峰老仙からの神示として、塩谷は次のように言っています。
「その大動乱後に本当の平和な世界が産まれる。国境はなくなり、世界は一つになる。ところで本当の平和の世界には中心は一つしかない。また、中心のない世界には本当の平和はない。その中心に推されて立たれるのは今の皇太子だ。今の皇太子がお生まれになった時、天に異象が現れた。」
良一の教えのなかに、このような内容のものを見た覚えはないのですが、天変地異によって世界が浄化されたあとは、日本とその天皇が中心となった神政政治のもとに世界が一つになる、という良一の教えと一致しています。
ついでながら、大峰老仙から告げられたという塩谷の予言によると、2000年と2005年の間に、大天変地異は起こるはずでした。別の箇所では、ピークは2000年と2009年との間に予想されると塩谷は言っています。もし、このような世界の破滅の話で、次の二年間が不安になる、というのであれば、このサイト(英語)をご覧下さい。紀元前 2800年から今まで、起こらなかった世界の終末の予言の、非常に長いリストがあります。
神理研究会のサイトには福田くらが大峰老仙より授かったと言う次の神示も見られます。
「アイウエオ五十一音(二度出ている字が三つあるから、実 際は四十八音)には、その一音一音に意味があり、またア行カ行というように、その行にも意味があります。この五十一音には大変深い意味がありまして、これ を解くことによって、人類の過去の歴史もわかり、将来の世の様をも予言できるのであります。人類の歴史は五十一音の順序で発生し展開されてきまして、現代 は荒魂時代の<ラリルレロ>の時代に入っております・・・」
別の霊から受け取った神示として、福田くらは次のことも言っています。
「ア行で世が開いて、カ行で神々が出現し、サ行で作物がつくられ、タ行で戦いの歴史となり、ナ行で何でも凝った文明となり、ハ行で繁栄への知識を広め、マ行で真と魔あるいは聖と俗の葛藤、ヤ行でやっと神のご計画わかるも、ラ行で終末の乱れが激しくなり、荒々しい天変地異が起こり、その試練を経て、ワ行ですべてが和す。めでたし、めでたしの世界になる」
このような教えをどこで聞いたのか正確には覚えていませんが、とても似ているものがあったのを覚えています。崇教真光の研修会でのことだったと思います。この51音(50音という人もいます)についてのほかの書き物もこのウェブサイトに載っています。1950年に塩谷信男も同じ教えを受け取ったと、このサイトの著者は述べています。
ここで引用したものは、聞き覚えがあるけれど、受け取ったのは良一ではなく、別の人々だったという神示のほんの一部です。それでもたくさんの疑問が出てきます。良一が受け取ったと言う『啓示』の基は正確には何だったのか、誰だったのか、何処から来たのか、『啓示』を受け取るという経験は何処から来るのか、等です。
「真の道」に関する注釈:塩谷と荻原が二人で設立した「千鳥会」は、「真の道」と名を変え、後に真の道から塩谷は離れ、「真の道協会」という自分のグループを1955年に形成。何が起こったのか定かではありません。真の道のホームページでは、荻原によって設立された、とあり、設立者は二人ではなく、荻原だけです。真の道は千鳥会に替わって出来たというより、汎宗教の千鳥会と平行して宗教団体として創設されたのでしょうか。千鳥会と真の道とでは、やっていることやその影響に多くの共通点があることは確かです。
アンさんのポストの翻訳で す。ーー火の鳥Phoenix3000
崇教真光では、岡田良一(光玉)のヨのみ役を説明した、ということで、塩谷信男博士の名と大峰老仙という霊の名を挙げています。研修テキストにある説明は「昭和23年12月24日に大峰老仙より塩谷博士が神示受けされていた説明である」と、崇教真光の初級研修用テキストにあります。
崇教真光の中級研修用テキストには、良一のヨのみ役と天杖について、
救い主(岡田良一)のご神命については、御神示をいただかれた救い主ご自身が驚かれたほどですから、いわば正統を任じている、神道界の一部の方々が驚嘆したのも、無理のないことでした。... 「救い主の『み魂』や『み役』について神伺いしてもよいか」との提議がなされ、...救い主のご神命について、「天杖」(棒に筆が付いていて自動書記を行う)の御神示の一部を基にして、概要だけを記させて頂きます。
と書かれています。この引用部分は、塩谷信男(1902− )と荻原真(1910−1981) (「真の道」創始者)によって、1947年頃設立された心霊研究グループ「千鳥会」と良一とが関係していたことを明白に示す証拠です。
以前のポストでも触れましたが、「真の道」という団体は、戦後の日本における新興宗教の一つで、天杖という占いの方法を用い、大峰老仙と呼ばれる霊より『神示』を受け取りました。日本の新興宗教について論じる様々なウェ ブサイトで、この「真の道」と良一との繋がりが言及されています。また、1960年6月に良一の「み魂伺い」の天杖を行ったのは、「真の道」の人々である、との証拠が真光関係のインターネットサイトで示されています。
なぜ良一が新しい宗教の設立を決め、何が彼の教えを形成したのかを知ろうと情報を探し続けていくなかで、塩谷信男、大峰老仙、天杖についての情報も探してきました。その過程において、真光というグループが起こった、歴史的社会的背景に関する情報に出くわしました。様々な人物と宗教との数多い繋がりを扱うには一連の書き物が必要です。この初回では、千鳥会と大峰老仙に焦点を当てましょう。
「神理研究会」というグループの代表によって維持されているウェブ・サイトに役立つ資料があります。ここは、特定の宗教に偏らない、と言っていて、日本の様々な宗教の教祖達によって書かれた資料から広範囲に引用がなされています。このウェブ・サイトによると、千鳥会は塩谷信男と荻原真の二人により、心霊を研究する目的で設立された会で、霊界のことを学び、神霊の導きを得るために、霊媒や天杖を含めた、心霊的手段を使用した研究に焦点があったようです。千鳥会それ自体は宗教の形式をとらず、その集会参加者には、世界救世教や生長の家といった、様々な新興宗教の信者がいました。
岡田良一が千鳥会の集会に出席したというはっきりとした証拠はありませんが、可能性としては考えられます。良一は千鳥会が設立された頃(1947年頃)世界救世教の信者でした。
このウェブ・サイトには、荻原が意図的にトランス状態に入り、彼を通して大峰老仙の『神霊』が話し、塩谷の質問に答える様子を描いた記述があります。この大峰老仙が様々な人物に様々な方法で『啓示』を与えた、ということです。(この『霊』の影響について、もっと書いていく予定です。)さしあたって手短かに言うと、1947年から1955年の8年間に渡って、この霊から神示を受けた、と塩谷は言っています。岡田良一が世界救世教の信者であったことを否定する富田氏の手紙(英語/日本語訳はここ)の中で、彼が手かざしの実践者として名を挙げている福田くらも、大峰老仙から神示を受けたと言っています。それに加えて、五井昌久も大峰老仙からの神示を基に、白光真宏会を設立したそうです。千鳥会そのものも、荻原を通して啓示された神意に沿って設立されたということです。
岡田良一のヨに関するみ役についての説明を大峰老仙が伝えたと崇教真光の研修用テキストにあることはすでに知っています。ヨニマス大天津神の働きを現界にて代行する役、神業を手伝うヨニマスハラの役、悪の世から善の世に作り変えんとするカラマラの働き、神の理想通りの真の大和世界を打ち建てんとするためのヨニマス大天津神。
ここに述べられているのは大変重要な事柄です。大峰老仙とは、たとえばキツネの霊といったものではなく、神霊である、とはっきりした確信がなければなりません。
この時点で、脇道にそれて、このサイト(英語)を 見ることを提案しましょう。ここでは、観念運動(自分でやったのではない、と心より思える行為)に対し、超常現象で説明すると、いとも簡単にだまされてしまうことについて述べられています。
話を元に戻します。岡田良一のヨのみ役についての説明は、1948年12月24日に大峰老仙より塩谷博士が受けたと研修用テキストにあります。しかしながら、良一は、宗教活動というより、戦争時の負債を返済するのに忙しかった、彼が立教に関する最初の啓示を受けたのは1959年2月だった、と崇教真光では言っています。ヨのみ役について神が良一に告げたという啓示は1959年5月15日の日付がついています。これはどういうことでしょうか。1959年5月15日の後で良一は塩谷に連絡を取り、ヨの意味について何か知っていないか、尋ねたのでしょうか。塩谷は、あとで誰か知る必要が出て来た場合のために、大峰老仙からの神示の詳細を記録し、日付を書き込んでおいたのでしょうか。
良一と塩谷との関係は良一が世界救世教の幹部職を解雇された後、すなわち、早くても1953年の後で始まった、と最近まで思っていました。世界救世教の信者が千鳥会の集会に出席していたことを知る前のことでした。ひょっとして良一は千鳥会の集会に1948年という早い時期にすでに出席していたとも考えられないでしょうか。
良一と千鳥会の活動とをつなげる直接の証拠は見つかっていません。塩谷の影響は後のことであるとも充分考えられます。でも、塩谷が大峰老仙より受け取った、他の『神示』も見てみることには興味をそそられます。
下記は1947年頃大峰老仙より授かったと塩谷が言う神示の一部です。(以下四つの引用部分は神理研究会ウェブ・サイトから)
「あのな、人間はな、長いこと間違ったことをやり続け、魂も肉体も汚れてしまった。ところが『時』が来て、この罪汚れがごしごし拭い落とされることになっ た。また、地球も汚してしまったから、これも洗い浄められ、修理されることになった。ここでいろいろな天変地異が起こってくる。人間もたくさん死ぬが、こ の大禊で魂も肉体も浄められた人が生き残る。そしてきれいになった地球に本当の和の天国を創ることになる」
聞き覚えがあると思いませんか。良一の教えと全く同じ言葉ではありませんが、世界の未来に関して意味するところは良一の教えと全く同じものです。
別の箇所では、大峰老仙からの神示として、塩谷は次のように言っています。
「その大動乱後に本当の平和な世界が産まれる。国境はなくなり、世界は一つになる。ところで本当の平和の世界には中心は一つしかない。また、中心のない世界には本当の平和はない。その中心に推されて立たれるのは今の皇太子だ。今の皇太子がお生まれになった時、天に異象が現れた。」
良一の教えのなかに、このような内容のものを見た覚えはないのですが、天変地異によって世界が浄化されたあとは、日本とその天皇が中心となった神政政治のもとに世界が一つになる、という良一の教えと一致しています。
ついでながら、大峰老仙から告げられたという塩谷の予言によると、2000年と2005年の間に、大天変地異は起こるはずでした。別の箇所では、ピークは2000年と2009年との間に予想されると塩谷は言っています。もし、このような世界の破滅の話で、次の二年間が不安になる、というのであれば、このサイト(英語)をご覧下さい。紀元前 2800年から今まで、起こらなかった世界の終末の予言の、非常に長いリストがあります。
神理研究会のサイトには福田くらが大峰老仙より授かったと言う次の神示も見られます。
「アイウエオ五十一音(二度出ている字が三つあるから、実 際は四十八音)には、その一音一音に意味があり、またア行カ行というように、その行にも意味があります。この五十一音には大変深い意味がありまして、これ を解くことによって、人類の過去の歴史もわかり、将来の世の様をも予言できるのであります。人類の歴史は五十一音の順序で発生し展開されてきまして、現代 は荒魂時代の<ラリルレロ>の時代に入っております・・・」
別の霊から受け取った神示として、福田くらは次のことも言っています。
「ア行で世が開いて、カ行で神々が出現し、サ行で作物がつくられ、タ行で戦いの歴史となり、ナ行で何でも凝った文明となり、ハ行で繁栄への知識を広め、マ行で真と魔あるいは聖と俗の葛藤、ヤ行でやっと神のご計画わかるも、ラ行で終末の乱れが激しくなり、荒々しい天変地異が起こり、その試練を経て、ワ行ですべてが和す。めでたし、めでたしの世界になる」
このような教えをどこで聞いたのか正確には覚えていませんが、とても似ているものがあったのを覚えています。崇教真光の研修会でのことだったと思います。この51音(50音という人もいます)についてのほかの書き物もこのウェブサイトに載っています。1950年に塩谷信男も同じ教えを受け取ったと、このサイトの著者は述べています。
ここで引用したものは、聞き覚えがあるけれど、受け取ったのは良一ではなく、別の人々だったという神示のほんの一部です。それでもたくさんの疑問が出てきます。良一が受け取ったと言う『啓示』の基は正確には何だったのか、誰だったのか、何処から来たのか、『啓示』を受け取るという経験は何処から来るのか、等です。
「真の道」に関する注釈:塩谷と荻原が二人で設立した「千鳥会」は、「真の道」と名を変え、後に真の道から塩谷は離れ、「真の道協会」という自分のグループを1955年に形成。何が起こったのか定かではありません。真の道のホームページでは、荻原によって設立された、とあり、設立者は二人ではなく、荻原だけです。真の道は千鳥会に替わって出来たというより、汎宗教の千鳥会と平行して宗教団体として創設されたのでしょうか。千鳥会と真の道とでは、やっていることやその影響に多くの共通点があることは確かです。
1 Comments:
eh.. really like this thoughts!
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