Tuesday, October 24, 2006

真光(Mahikari)の祖師が受け取ったとする『最初の啓示』につ いて ー その真偽 <その七>

Part 7 of phoenix3000's series of posts concerning Okada's "first revelation" and the origins of the Mahikari organization:

良一(光玉)及び真光の世界から離れて現実の世界に戻り、人に本来備わった理性を取り戻して真光の世界を冷静に考えてみると、あれこれと、事実や真実からはぐらかされていたような感じが徐々にして来ませんか。

真光の世界にどっぷり浸かっていると、昭和34年の『最初の啓示』にまつわる事実を聞いても初めはなかなか受け入れられません。いくつかの段階を踏むことになるかもしれません。

ーー光玉が昭和34年の『最初の啓示』の前に世界救世教に所属していたんだって!ーー
何かの間違いでは?それに救世教に所属していたと しても、『手かざし=真光の業』があるではない か。『真光の業』は光玉の主張したように昭和34年の『最初の啓示』の時、神から与えられたものではないのか、と光玉及び真光のほうをなんとか守ろうと、真光の思考枠で考えます。

ーー救世教って、手かざしするんだって!ーー
手かざし、といってもいろいろあるようだ。霊障解消できるのは真光だけだと教団は言っている。正法である真光の道から邪神邪霊が我々を引き離そうとしているのだ。固い信念を持たねばならない、と言われているではないか。

ーー救世教に所属していただけでなく、幹部だったんだって。しかも『光玉』の名もその頃すでに使っていたんだって。ーー
神経細胞にまで真光がしみ込んでいると、「だから何だっていうの?そんな邪霊のささやきを聞いてはいけない」と簡単に思ってしまいます。

どんな現実の事実が出てこようが、光玉及び教団の主張と食い違っていれば、『邪神邪霊の活動によるもの』といった類いの負のイメージのレッテルを貼って、現実の事実から目をそらすように信者を誘導できるのです。

これが、「えっ!」との驚きになると、張り巡らされた真光の魔語から醒めるきっかけが生じます。
次のような書き込みがよい例です。「子羊(組み手 歴15年)」さんの書き込みです。

 最近崇教についてネット上で調べはじめました。
 別の調べものをしていたら、以前に聞いたことのある真光裁判の記事をみつけたのがきっかけです。
 驚いて他を探してみると、いろいろな情報がありました。
 これらの記事を読んでショックを受けました。

 一番ショックだったのは、救い主様は救世教の幹部を10年されていて、その時にすでに「光玉」と名乗っておられたことです。
 すでに手かざしもされていて、霊査もされておられたとのこと。
 御聖言のはじめに、「たて、光玉と名乗れ。手を かざせ」とあるので、そのときから光玉と名のり、手をかざされたのだと思っていました。
 
 ブッダの「正しい教えを説く者が、私の死後3000年たってから在家の中から(宗教に対する素人の中から)現れる。」という予言が救い主さまを指すものだと記憶していましたが、それも違うことになってしまいます。

  
この「子羊」さんの場合、真光が提示してきたものと現実の事実とのギャップがあることを次々と認識できたことは幸いでした。

光玉及び真光が主張する昭和34年の『最初の啓示』の話は、彼らが隠してきた現実の事実と照らし合わせてみると、現実の出来事とは食い違っている、とわかってきても、『最初の啓示』のような神示らしきことがあったんではないか、と部分的に肯定しようとするかもしれません。

一つには自分の信じて来たもの、信じ込まされて我 が身を削って「実践してきた」ものに実体がなかったなんて、にわかには受け入れ難いためです。

また一つには、日本の新興宗教には教祖が『神懸か り』となって始まったものも結構あったみたいだからです。頭の中で「声がする」と言う現象もある し、姿なき声が話しかける、という幻覚が生じる現 象もあるようだし、たとえそれが精神病的原因によるものや、単なる自分の思 い込みであっても、本人にとっては『神秘体験』になる、ということもあり得る、と思ってみたりもするかもしれません。

ところが、光玉の話には実際の事実に基づいた話ならあり得ない矛盾が見られたり、根拠のないことでも「これこそが事実である」と自信たっぷりに宣言 するし、自分に都合が良いように言い換えも平気でしていることが次々にわかってくると、昭和34年 の『最初の啓示』も光玉の捏造である可能性が増々強くなります。「子羊」さんの書き込みに<御聖言 のはじめに、「たて、光玉と名乗れ。手をかざせ」とあるので、そのときから光玉と名のり、手をかざされたのだと思っていました。>とあるように、昭和34年の『最初の啓示』は「そのときから光玉と 名のり、手をかざしたのだ」という印象を与えるよう、意図的に作られたものだということです。
そして「真光の業」についても、元組み手を含む教 団外の人々が何と言おうが真光の業は本物だ、と信じきっている信者には気の毒ですが、下記のような書き込みの結論に同意できるようになります。

     天地創造神からイエスや釈迦にしか許さ れていない「真光の業」を初めて、岡田光玉に許されたと説いている。しかし、真光の業という手かざしは、世界救世教の「浄霊という手かざし」と瓜二つであった。岡田光玉は10年も救世教に在籍し、「手かざし」 を実践していた。

     教団の説く「真光の業」は、魁のメシア光玉に天地創造神から「啓示」によって降ろされたというのは真っ赤な嘘だという事実が残った。

    
ところで、次の文を読んでどうお考えになりますか。具体的な数字や名を伏せました。

[神様からの啓示]
  昭和**年、**歳のとき、**様は神様から 初めて啓示を受けられ、病気・貧困・争いのない世界を造るという使命を与えられました。と同時に、この三大苦の中で最も重要と考えられる病気を、根本から解決する方法を授けられました。それが **です。**様は、はじめ神様からの啓示を疑われましたが、数限りない奇蹟の体験を通して、次第 に神様の啓示が真実であることを悟られるようになり、...  

光玉の昭和34年の『最初の啓示』で始まった真光の主張と基本的には同じだと思いませんか。昭和* *年は昭和元年(1926)。実際の歴史の流れからすると、こちらの『啓示』は光玉の昭和34年の『最初の啓示』の主張より33年前であって、光玉は1947年かその頃にこの宗教に入信し、幹部にまでなり、自分を「光玉先生」と呼ばせていたのです。この「光玉」の名に関しては、「神様は、明主様のおなかの中に救いの力を持った光の玉をお与えになりました。」という、この宗教の主張も思い出していただきたい。 (<その三>参照)

  ーー 火の鳥Phoenix3000

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