真光の祖師が受け取ったとする『最初の啓示』ーその真偽 <その十一>:『最初の啓示』の別版(後半)
To the English reader:
Please compare 'the first revelation' in "Go-seigen" and the version in the Primary Course textbook if you have both with you.
They should be identical, yet, they aren't.
The Mahikari Primary course textbook (tenth edition, 2001, p6) reads:
Just before dawn on February 17, 1959, the founder, Sukuinushisama, personally received the following revelation from Su God: "Spread True Light and proclaim the dawn of the spiritual civilization. Fulfil the role of a 'sphere of Light'. For the time being, call yourself Kotama." In response to this divine command, Sukuinushi-sama bravely rose up and obediently began the missions he was given.
In the "Sukyo Mahikari 30-year Chronicle", Sukyo Mahikari claims that Yoshikazu (Kotama) Okada, soon after the war, tried to commit suicide, but decided not to, and he by chance saw a dying dog and did tekazashi to this dog and saved it, then he started to study the divine world.
However, Kotama Okada states, in "Gotaidanshu" (a book of interviews with Okada published only in Japanese), that he couldn't believe the 1959 first revelation, thinking it too ridiculous to raise the hand and cure people of diseases, that he didn't feel like carrying out anything for about a week, then by chance he saw a sick dog, tried tekazashi to the dog and the dog got cured, then he started to give tekazashi to people.
There are contradictions and inconsistencies in Mahikari and even in what Okada says, which indicates what they claim is not honestly based on true stories.
This article picks up several quotes shown before in some of my previous articles and takes another look at them.
Phoenix3000
崇教真光の初級研修用テキストp2に、昭和34年2月27日に岡田良一が受け取ったとする神示は「真光(まひかり)のまくばり、霊文明の暁を告げよ、光の玉の役をなせ、光玉と名のれ」だったとあります。しかし、これは『御聖言』の一番最初の神示である「天地一切神の声」とは明らかに違っています。「真光のまくばり」「霊文明の暁」「光の玉の役」などとは「天地一切神の声」には出て来ません。そこで、光玉の『神』が「真光(まひかり)」という言葉を使ったのはいつなのか、調べてみたのが前回<その十>でした。
この『神示』を受けて、良一が『敢然ス直に決起した』と言っていることについても、おや?と注意を喚起させられました。「初めは信じられなかった、一週間ぐらいは立ち上がる気が全然しなかった....」という光玉(良一)自身の話はどこに行ってしまったのでしょう。
『真光と犬の話』『最初の啓示』<その一、三、四>で引用しましたが、中級研修用テキストの説明文、『御対談集』での光玉の説明、『崇教真光30年史』での記述、その他をもう一度見てみましょう。
「救い主様は、かつては科学技術の勉強を深くなされ、又、飛行機会社や幾多の技術関連会社を経営され、いわば宗教とは全く違った道を歩んでこられました。
「そのため御神示を賜った時も、まるで狐にでもつままれたような状態で、重大使命を深く受け止めることができなかったそうです。
「しかし、手をかざさなければならない状態に追い込まれ、手をかざされた。すると、.....ーー中級研修用テキストp2
「たしか昭和34年の2月27日ですが、私の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれ。きびしき世となるべし」という声が聞こえたのです。 ...(略)...というんで「光玉」と名のった。それから「手をかざして人の病気を治せ」と言われるでしょう。
「私ははじめ、自分にそんな聖者みたいな真似が出来るとはいくら馬鹿でも考えられない。そんなことを考えるのはそれこそ気違いだ。待てよ、借金返しに夢中で自分は気が変になったのじゃないか、ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間くらいは立ち上がる気は全然しなかった。ところがふと犬に手をかざしてみたら犬の病気が治っちゃった。それが始まりで、人の頭が痛いというのでやってやるとスッとしたと言う。ーー『御対談集』p280−281
さっきも言いましたように私は十五年前に、神様から「光玉と名のれ。厳しき世となるべし」と言われ、「手をかざせ」と言われた。説明すれば、今の人類の想像も出来ない世の中に変わるぞという御神示があった。しかし私も飛行機会社の社長をしていたくらいだから、一通りの科学的常識はあるんで、まさかこんなことをやってあらゆる病気を治せる力を出せると言われても到底信じられない。キツネかタヌキに騙されているのかな、と思った。そんなバカなことが出来るかというわけで、私、最初は立ち上がる気がしなかった。何といっても常識で判断するでしょう、科学的常識で。ところがどうしてもやらなきゃならんような現象にどんどん追っかけられてきますから、しょうがない。実際は追い込まれたようなもんでしょうね。それで手をかざしてみると、相手が治っちゃうんだからしょうがないのです。 ...ーー『御対談集』p286
声なき声に導かれ、自殺を思い止まった後、ふとしたことから手をかざして、瀕死の犬を救った頃から、救い主様は神霊の世界へ関心を深められ、借金返しのかたわら神の世界の勉強もされていました。ーー『崇教真光30年史』p66
〔注:終戦直前の爆撃による戦災の借金で、『王侯の如き生活から、貧の極地、ドン底生活に転落』(『大聖主』p71)、日々の生活を営むことすら難しく、自殺を考えたとなっています。自殺を思いとどまり、<夢中で借金返しの日々を過ごすようになった>(『30年史』p66)、そして『借金の返済が終了したのは昭和34年1月』(『30年史』p66)ということになっています。〕
しかし、この御神示を戴いた救い主様は、「なかなか立教にふみきれなかった、というよりも御神示そのものを信じることが出来なかった。何か狐か狸にでも騙されているのではないかと、今になると恐懼身の毛のよだつ思いだが、神様を疑ってしまった。 ...」と後に述懐されています。 ーー『崇教真光30年史』p68
八坂東明著『最後の岩戸開き』(1997)で、終戦直後に、「手をかざせ!」という姿無き声を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、びっくりした岡田師は謎を解明する為に必死で心霊科学から、宗教や超心理学の研究に参入したそうです。 ーー真光関係者集合(40)−166
問題点を挙げてみます。
1.『最初の啓示』が与えられたとする環境が違っている光玉自身の話があります。
2.上記の『御対談集』の箇所では「手をかざせ」は「光玉と名のれ。厳しき世になるべし」の間に入っていません。
3.最初の手かざし(=犬への手かざし)が『御対談集』での光玉自身の話と『崇教真光30年史』の記述(及び『最後の岩戸開き』の内容)とでは時期が大きく違います。それを一緒にすると---
『30年史』ー> 戦後間もなく、ふとしたことから手をかざして瀕死の犬を救った、それで神霊の世界に関心を持ち、神の世界の勉強をした、昭和34年に『最初の啓示』が降り、手をかざせ、と命じられたが、手をかざして病気を治すなんて、そんなバカなことがあるか、自分は気が変になったのかな、と初めは全く信じられなくて、何もやらなかった、ふとしたことから犬へ手をかざしたら、犬の病気が治ってしまった、それが始まりで人に手かざしするようになった。
『最後の岩戸開き』ー> 終戦直後、「手をかざせ!」という姿無き声を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、びっくりした岡田師は謎を解明する為に必死で心霊科学から、宗教や超心理学の研究に参入した、昭和34年に『最初の啓示』が降り、「手をかざせ」と命じられたが、まさかこんなことをやって病気を治せる力を出せると言われても到底信じられない。そんなバカなことがあるか、と初めは全く信じられなくて、何もやらなかった、ふとしたことから犬へ手をかざしたら、犬の病気が治ってしまった、それが始まりで人に手かざしするようになった。
こうなると、『お話』としてもとんでもなくひどいものになって来ませんか。『組み手』(信者)は『スの神にス直になれ』と言われ、このように辻褄の合わない話も合わせて押し付けられているのですが、気付けません。気が付かないまま、真光は本物だと思っています。
4.『御対談集』での光玉自身の「私も飛行機会社の社長をしていた」との表現と中級研修用テキストでの<飛行機会社を経営した>との表現は合いますが、<飛行機会社の社長だった>から<一通りの科学的常識はある、科学的常識で判断する、科学技術の勉強を深くした>と絶対的に成立するものでしょうか。「科学的常識はある、科学的常識で判断する、云々」については、光玉本人の主張であり、その主張を基に教団が言っている、というだけのことです。
5.「科学的常識で判断する」人が、「手をかざして人の病気を治せ」と命じられたら、「そんな聖者みたいな真似」と言わず、「そんなまじない師みたいな真似」と言ってもいいのではないでしょうか。
6.「科学をやってきた」「科学的常識で判断する」と自負する人間が、「タヌキやキツネの霊に憑かれたかな」「タヌキやキツネの霊に騙されたかな」と思うのもちぐはぐです。
7.『最初の啓示』の以前にすでに手かざしをして、『奇跡』を経験し、神霊の世界の研究をしたのなら、「そんな聖者みたいなまねを出来る訳が無い、とても信じられない、そんなバカなことはできない」と言ってぐずぐずしてはいないはずです。「そんな聖者みたいなまねを出来る訳が無い、とても信じられない...」との台詞は『最初の啓示』以前に手かざしをしたことのない人ならあてはまるでしょうが、すでに手かざしをして『奇跡』を経験している者の台詞ではありません。
8.『御対談集』での「私も飛行機会社の社長をしていたくらいだから、一通りの科学的常識はある...科学的常識で判断する」との光玉自身の表現と、中級研修用テキストでの「...いわば宗教とは全く違った道を歩んで来た」との表現は『最初の啓示』以前に「手かざし」などというものは全く知らなかった、やったことがなかった、という意味合いがあるという点で、共通しています。しかし、これらは崇教真光の主張とは噛み合いません。崇教真光(八坂東明は崇教真光の人間です)では「戦後間もなく(または終戦直後)、ふとしたことから、瀕死の犬に手かざししたら、犬が治ってしまった、それから、(手をかざしたら奇跡が次々に起こった、びっくりして、必死に心霊や宗教の研究、)神の世界の勉強を始めた」と言っています。「神の世界の勉強をした」ということは宗教分野に足を踏み込んだということです。
崇教真光のこの主張を採るならば、中級研修用テキストでの「いわば宗教とは全く違った道を歩んで来た」という記述は誤りになります。また、『御対談集』での光玉の表現である「科学的常識で判断する...」というのも不正直というか、虚偽の言い回しになります。
『御対談集』での光玉の言葉・中級研修用テキストでの記述を採れば、『30年史』や八坂が言っていることのほうが嘘になります。
実は双方とも本当のところを言っていません。光玉は救世教で給料をもらう幹部まで勤め、約10年間そこで手かざしをしていた事実があるのに、双方共に、その事実を隠しています。この事実は教祖を知る上で、大事な情報です。それを伏せて提供された主張は、信用に値するでしょうか。双方とも、大事な事実を隠して「光玉像」を描いていて、しかも互いに食い違っている、ということは、真光そのものが、虚構性の強いものであることを示していると言えるでしょう。
9.一方で「神示そのものを信じられなかった」と言いつつ、その一部である、「光玉と名のれ」には抵抗を感ぜずに、さっさと「光玉」と自分の名を改めたと言っています。
10.「光玉と名のれ」との『神』の台詞は良一(光玉)のお気に入りだったようです。
『御対談集』の中で(p223)、<霊があることを体得できる最も簡単な方法を神から教えられた、それが『御聖言』にも出ている『光玉と名のれ、手をかざせ』の一言なんです>と彼は『光玉と名のれ』を付け加えてしまっています。(『最初の啓示』<その九>参照) この『光玉と名のれ』は別版にも残っています。実際、この別版と『御聖言』の「天地一切神の声」との共通点はこの『光玉と名のれ』だけです。この名は『最初の啓示』で神より与えられた名であるということになっていますが、良一が救世教時代に周囲の者に自分を「光玉先生」と呼ばせていた現実の事実を知ると、これは見せかけの主張だったことがわかります。
11.<一週間ぐらいは立ち上がる気は全然しなかった、『ふとしたことから』犬に手をかざしてみた、それが始まりで、...>と<どうしてもやらなきゃならないような現象・状態に追い込まれ、手をかざした>とを比べて下さい。両者とも「手をかざせ」と命じられたけど、初めはそんなことをする気にはなれなかった、しかし最終的には手をかざすようになったということは共通しています。が、「初めて手をかざす」行為に至った中間の出来事について見てみましょう。
<ふとしたことから、犬に手をかざした、それが始まりで人に手をかざすようになった>ことと、<手をかざさなければならない状態に追い込まれて手をかざすようになった>こととは、よく考えてみると、ズレがあって、同じ出来事を言い換えているのではありません。「ふとしたことから犬に手をかざした」というのは手をかざさなければならない状態でも、手をかざさなければならないような現象でもありません。
一体『ふとしたこと』とは何だったのでしょう。『どうしてもやらなきゃならないような現象・状態』とは何だったのでしょう。いずれも具体的な出来事は示されていません。信者はぼんやりと思い描いてみるだけです。ぼんやりしているために、どちらを聞いても納得させられてしまうのです。
別々ならお話として通っても、二者が共存するのはおかしい。というのは、前者は犬に手をかざした、犬が元気になった、それで、手かざしに自信を持ち、人に手かざしするようになった、と手かざしに積極的になった経過です。それ以上、「どうしてもやらなきゃならないような現象に追い込まれる」必要はありません。人に求められるままに、「手かざし」をし続ければよいわけです。手かざしを求めてくるほうは、何かを期待しているわけですから、何か良いことが起これば、「手かざし」を受けたからですよ、と言えばいいのです。良くないことが起これば、それはミソギでクリーニングです、と説明すれば、信じやすい相手は感心するでしょう。
12.「到底信じられない」「そんなバカなことができるか」「自分は気が変になったのじゃないか」「御神示そのものを信じることができなかった」「神様を疑ってしまった」等の言葉を繰り出して、「自分も疑ったんだから/信じられなかったんだから」、これは本当に起こった出来事である、自分の作り話や幻覚・妄想ではない、と聞こえるように仕向けています。『神が特に自分を選んで、神示を下したのだ』という本人の主張と同様、これらも、本人による申し立てです。この本人は、救世教で「手かざし」には慣れていて、そこで幹部さえ勤めたという自分の過去の経歴を伏せてこそ成り立つようなことを平気で言っています。
ここで『敢然ス直に決起した』との初級研修用テキストの表現に戻りましょう。『御対談集』の光玉自身の説明によると、<最初信じられなくて、全然そんなことをする気にはならなかった、ぐずぐずしていた>筈なのに、そして中級研修用テキストでは「重大使命を深く受け止めることができなかったそうです」との記述があるのに、そこは無視して、このテキストでは、まるで「さあ、神示が降りた、よっしゃ、やったるで」と、即座に『ス直に』『敢然と』受けて立った、というふうに表現しているのです。
真光では教えがコロコロと変わる、と言われています。その上『犬への手かざし(=最初の手かざし)』の時期が大きく違う二説あったり、すでに他宗教の幹部までやって「手かざし」をしていた人間に、『神』が初めてその「手かざし」の業を授けるかのように、「手をかざせ」と命じる、本人も、この業は自分を通して初めて人類に許された業であると説く.....本当の出来事の臭いがしません。さらにこのように表現も変わり、内容にズレがある、というのでは、真光の言うことを文字通りに受け取れるのか、大いに疑問です。大事なはずの神の言葉や「地上代行者」であるはずの人物の言葉がこんなにルーズで締まり無く変わるのはどうしてでしょう。
物事を忠実に正確に表そうとする努力は見られません。忠実に正確に記すべき「物事」が実際にはなかった可能性も考慮に入れるべきです。真光では、事実はどうであれ、人をいかにして印象付けるか、言い包めるかに主眼があるようです。そのためには、響きが良いから、とか、真光に都合が良いから、そう言う、でもかまわないようです。人の気を引けばよいのです。あとで使うようになった言葉でも、最初からあったように見せたり、光玉の死後1978年に恵珠によって設立された崇教真光が、光玉の生存中からあったように表現したり、救世教時代に使った呼び名だったことを隠して、1959年に光玉という神名を神から与えられた、と宣言したり.....これが真光の体質でもあります。
「真光のまくばり、霊文明の暁を告げよ、光の玉の役をなせ、光玉と名のれ」との『最初の啓示』の別版は、良一(光玉)が用意したものなのでしょうか。良一が「自分と神との会話を現代語に訳す」〔『最初の啓示』<その九>『御対談集』p223参照〕と、このようにもなるということでしょうか。それとも、世界真光文明教団から分派して新たに設立された崇教真光では、「天の時至れるなり。起て、光玉と名のれ。.....」を示すのを躊躇して別版を作ったのでしょうか。今の崇教真光の初級研修テキストにはまだこれが載っているのでしょうか。まだあるのなら、「天の時至れるなり。起て、光玉と名のれ。...」の方に差し替えた改訂版を用意すべきでしょう。付け足しておくと、手元にある中級研修用テキストには、「天地一切神の声」が第一ページ全部を使って掲げられています。中級になれば、それだけ洗脳が進んでいるから大丈夫、ということなのでしょうか。
ーー火の鳥Phoenix3000
Please compare 'the first revelation' in "Go-seigen" and the version in the Primary Course textbook if you have both with you.
They should be identical, yet, they aren't.
The Mahikari Primary course textbook (tenth edition, 2001, p6) reads:
Just before dawn on February 17, 1959, the founder, Sukuinushisama, personally received the following revelation from Su God: "Spread True Light and proclaim the dawn of the spiritual civilization. Fulfil the role of a 'sphere of Light'. For the time being, call yourself Kotama." In response to this divine command, Sukuinushi-sama bravely rose up and obediently began the missions he was given.
In the "Sukyo Mahikari 30-year Chronicle", Sukyo Mahikari claims that Yoshikazu (Kotama) Okada, soon after the war, tried to commit suicide, but decided not to, and he by chance saw a dying dog and did tekazashi to this dog and saved it, then he started to study the divine world.
However, Kotama Okada states, in "Gotaidanshu" (a book of interviews with Okada published only in Japanese), that he couldn't believe the 1959 first revelation, thinking it too ridiculous to raise the hand and cure people of diseases, that he didn't feel like carrying out anything for about a week, then by chance he saw a sick dog, tried tekazashi to the dog and the dog got cured, then he started to give tekazashi to people.
There are contradictions and inconsistencies in Mahikari and even in what Okada says, which indicates what they claim is not honestly based on true stories.
This article picks up several quotes shown before in some of my previous articles and takes another look at them.
Phoenix3000
崇教真光の初級研修用テキストp2に、昭和34年2月27日に岡田良一が受け取ったとする神示は「真光(まひかり)のまくばり、霊文明の暁を告げよ、光の玉の役をなせ、光玉と名のれ」だったとあります。しかし、これは『御聖言』の一番最初の神示である「天地一切神の声」とは明らかに違っています。「真光のまくばり」「霊文明の暁」「光の玉の役」などとは「天地一切神の声」には出て来ません。そこで、光玉の『神』が「真光(まひかり)」という言葉を使ったのはいつなのか、調べてみたのが前回<その十>でした。
この『神示』を受けて、良一が『敢然ス直に決起した』と言っていることについても、おや?と注意を喚起させられました。「初めは信じられなかった、一週間ぐらいは立ち上がる気が全然しなかった....」という光玉(良一)自身の話はどこに行ってしまったのでしょう。
『真光と犬の話』『最初の啓示』<その一、三、四>で引用しましたが、中級研修用テキストの説明文、『御対談集』での光玉の説明、『崇教真光30年史』での記述、その他をもう一度見てみましょう。
「救い主様は、かつては科学技術の勉強を深くなされ、又、飛行機会社や幾多の技術関連会社を経営され、いわば宗教とは全く違った道を歩んでこられました。
「そのため御神示を賜った時も、まるで狐にでもつままれたような状態で、重大使命を深く受け止めることができなかったそうです。
「しかし、手をかざさなければならない状態に追い込まれ、手をかざされた。すると、.....ーー中級研修用テキストp2
「たしか昭和34年の2月27日ですが、私の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれ。きびしき世となるべし」という声が聞こえたのです。 ...(略)...というんで「光玉」と名のった。それから「手をかざして人の病気を治せ」と言われるでしょう。
「私ははじめ、自分にそんな聖者みたいな真似が出来るとはいくら馬鹿でも考えられない。そんなことを考えるのはそれこそ気違いだ。待てよ、借金返しに夢中で自分は気が変になったのじゃないか、ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間くらいは立ち上がる気は全然しなかった。ところがふと犬に手をかざしてみたら犬の病気が治っちゃった。それが始まりで、人の頭が痛いというのでやってやるとスッとしたと言う。ーー『御対談集』p280−281
さっきも言いましたように私は十五年前に、神様から「光玉と名のれ。厳しき世となるべし」と言われ、「手をかざせ」と言われた。説明すれば、今の人類の想像も出来ない世の中に変わるぞという御神示があった。しかし私も飛行機会社の社長をしていたくらいだから、一通りの科学的常識はあるんで、まさかこんなことをやってあらゆる病気を治せる力を出せると言われても到底信じられない。キツネかタヌキに騙されているのかな、と思った。そんなバカなことが出来るかというわけで、私、最初は立ち上がる気がしなかった。何といっても常識で判断するでしょう、科学的常識で。ところがどうしてもやらなきゃならんような現象にどんどん追っかけられてきますから、しょうがない。実際は追い込まれたようなもんでしょうね。それで手をかざしてみると、相手が治っちゃうんだからしょうがないのです。 ...ーー『御対談集』p286
声なき声に導かれ、自殺を思い止まった後、ふとしたことから手をかざして、瀕死の犬を救った頃から、救い主様は神霊の世界へ関心を深められ、借金返しのかたわら神の世界の勉強もされていました。ーー『崇教真光30年史』p66
〔注:終戦直前の爆撃による戦災の借金で、『王侯の如き生活から、貧の極地、ドン底生活に転落』(『大聖主』p71)、日々の生活を営むことすら難しく、自殺を考えたとなっています。自殺を思いとどまり、<夢中で借金返しの日々を過ごすようになった>(『30年史』p66)、そして『借金の返済が終了したのは昭和34年1月』(『30年史』p66)ということになっています。〕
しかし、この御神示を戴いた救い主様は、「なかなか立教にふみきれなかった、というよりも御神示そのものを信じることが出来なかった。何か狐か狸にでも騙されているのではないかと、今になると恐懼身の毛のよだつ思いだが、神様を疑ってしまった。 ...」と後に述懐されています。 ーー『崇教真光30年史』p68
八坂東明著『最後の岩戸開き』(1997)で、終戦直後に、「手をかざせ!」という姿無き声を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、びっくりした岡田師は謎を解明する為に必死で心霊科学から、宗教や超心理学の研究に参入したそうです。 ーー真光関係者集合(40)−166
問題点を挙げてみます。
1.『最初の啓示』が与えられたとする環境が違っている光玉自身の話があります。
2.上記の『御対談集』の箇所では「手をかざせ」は「光玉と名のれ。厳しき世になるべし」の間に入っていません。
3.最初の手かざし(=犬への手かざし)が『御対談集』での光玉自身の話と『崇教真光30年史』の記述(及び『最後の岩戸開き』の内容)とでは時期が大きく違います。それを一緒にすると---
『30年史』ー> 戦後間もなく、ふとしたことから手をかざして瀕死の犬を救った、それで神霊の世界に関心を持ち、神の世界の勉強をした、昭和34年に『最初の啓示』が降り、手をかざせ、と命じられたが、手をかざして病気を治すなんて、そんなバカなことがあるか、自分は気が変になったのかな、と初めは全く信じられなくて、何もやらなかった、ふとしたことから犬へ手をかざしたら、犬の病気が治ってしまった、それが始まりで人に手かざしするようになった。
『最後の岩戸開き』ー> 終戦直後、「手をかざせ!」という姿無き声を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、びっくりした岡田師は謎を解明する為に必死で心霊科学から、宗教や超心理学の研究に参入した、昭和34年に『最初の啓示』が降り、「手をかざせ」と命じられたが、まさかこんなことをやって病気を治せる力を出せると言われても到底信じられない。そんなバカなことがあるか、と初めは全く信じられなくて、何もやらなかった、ふとしたことから犬へ手をかざしたら、犬の病気が治ってしまった、それが始まりで人に手かざしするようになった。
こうなると、『お話』としてもとんでもなくひどいものになって来ませんか。『組み手』(信者)は『スの神にス直になれ』と言われ、このように辻褄の合わない話も合わせて押し付けられているのですが、気付けません。気が付かないまま、真光は本物だと思っています。
4.『御対談集』での光玉自身の「私も飛行機会社の社長をしていた」との表現と中級研修用テキストでの<飛行機会社を経営した>との表現は合いますが、<飛行機会社の社長だった>から<一通りの科学的常識はある、科学的常識で判断する、科学技術の勉強を深くした>と絶対的に成立するものでしょうか。「科学的常識はある、科学的常識で判断する、云々」については、光玉本人の主張であり、その主張を基に教団が言っている、というだけのことです。
5.「科学的常識で判断する」人が、「手をかざして人の病気を治せ」と命じられたら、「そんな聖者みたいな真似」と言わず、「そんなまじない師みたいな真似」と言ってもいいのではないでしょうか。
6.「科学をやってきた」「科学的常識で判断する」と自負する人間が、「タヌキやキツネの霊に憑かれたかな」「タヌキやキツネの霊に騙されたかな」と思うのもちぐはぐです。
7.『最初の啓示』の以前にすでに手かざしをして、『奇跡』を経験し、神霊の世界の研究をしたのなら、「そんな聖者みたいなまねを出来る訳が無い、とても信じられない、そんなバカなことはできない」と言ってぐずぐずしてはいないはずです。「そんな聖者みたいなまねを出来る訳が無い、とても信じられない...」との台詞は『最初の啓示』以前に手かざしをしたことのない人ならあてはまるでしょうが、すでに手かざしをして『奇跡』を経験している者の台詞ではありません。
8.『御対談集』での「私も飛行機会社の社長をしていたくらいだから、一通りの科学的常識はある...科学的常識で判断する」との光玉自身の表現と、中級研修用テキストでの「...いわば宗教とは全く違った道を歩んで来た」との表現は『最初の啓示』以前に「手かざし」などというものは全く知らなかった、やったことがなかった、という意味合いがあるという点で、共通しています。しかし、これらは崇教真光の主張とは噛み合いません。崇教真光(八坂東明は崇教真光の人間です)では「戦後間もなく(または終戦直後)、ふとしたことから、瀕死の犬に手かざししたら、犬が治ってしまった、それから、(手をかざしたら奇跡が次々に起こった、びっくりして、必死に心霊や宗教の研究、)神の世界の勉強を始めた」と言っています。「神の世界の勉強をした」ということは宗教分野に足を踏み込んだということです。
崇教真光のこの主張を採るならば、中級研修用テキストでの「いわば宗教とは全く違った道を歩んで来た」という記述は誤りになります。また、『御対談集』での光玉の表現である「科学的常識で判断する...」というのも不正直というか、虚偽の言い回しになります。
『御対談集』での光玉の言葉・中級研修用テキストでの記述を採れば、『30年史』や八坂が言っていることのほうが嘘になります。
実は双方とも本当のところを言っていません。光玉は救世教で給料をもらう幹部まで勤め、約10年間そこで手かざしをしていた事実があるのに、双方共に、その事実を隠しています。この事実は教祖を知る上で、大事な情報です。それを伏せて提供された主張は、信用に値するでしょうか。双方とも、大事な事実を隠して「光玉像」を描いていて、しかも互いに食い違っている、ということは、真光そのものが、虚構性の強いものであることを示していると言えるでしょう。
9.一方で「神示そのものを信じられなかった」と言いつつ、その一部である、「光玉と名のれ」には抵抗を感ぜずに、さっさと「光玉」と自分の名を改めたと言っています。
10.「光玉と名のれ」との『神』の台詞は良一(光玉)のお気に入りだったようです。
『御対談集』の中で(p223)、<霊があることを体得できる最も簡単な方法を神から教えられた、それが『御聖言』にも出ている『光玉と名のれ、手をかざせ』の一言なんです>と彼は『光玉と名のれ』を付け加えてしまっています。(『最初の啓示』<その九>参照) この『光玉と名のれ』は別版にも残っています。実際、この別版と『御聖言』の「天地一切神の声」との共通点はこの『光玉と名のれ』だけです。この名は『最初の啓示』で神より与えられた名であるということになっていますが、良一が救世教時代に周囲の者に自分を「光玉先生」と呼ばせていた現実の事実を知ると、これは見せかけの主張だったことがわかります。
11.<一週間ぐらいは立ち上がる気は全然しなかった、『ふとしたことから』犬に手をかざしてみた、それが始まりで、...>と<どうしてもやらなきゃならないような現象・状態に追い込まれ、手をかざした>とを比べて下さい。両者とも「手をかざせ」と命じられたけど、初めはそんなことをする気にはなれなかった、しかし最終的には手をかざすようになったということは共通しています。が、「初めて手をかざす」行為に至った中間の出来事について見てみましょう。
<ふとしたことから、犬に手をかざした、それが始まりで人に手をかざすようになった>ことと、<手をかざさなければならない状態に追い込まれて手をかざすようになった>こととは、よく考えてみると、ズレがあって、同じ出来事を言い換えているのではありません。「ふとしたことから犬に手をかざした」というのは手をかざさなければならない状態でも、手をかざさなければならないような現象でもありません。
一体『ふとしたこと』とは何だったのでしょう。『どうしてもやらなきゃならないような現象・状態』とは何だったのでしょう。いずれも具体的な出来事は示されていません。信者はぼんやりと思い描いてみるだけです。ぼんやりしているために、どちらを聞いても納得させられてしまうのです。
別々ならお話として通っても、二者が共存するのはおかしい。というのは、前者は犬に手をかざした、犬が元気になった、それで、手かざしに自信を持ち、人に手かざしするようになった、と手かざしに積極的になった経過です。それ以上、「どうしてもやらなきゃならないような現象に追い込まれる」必要はありません。人に求められるままに、「手かざし」をし続ければよいわけです。手かざしを求めてくるほうは、何かを期待しているわけですから、何か良いことが起これば、「手かざし」を受けたからですよ、と言えばいいのです。良くないことが起これば、それはミソギでクリーニングです、と説明すれば、信じやすい相手は感心するでしょう。
12.「到底信じられない」「そんなバカなことができるか」「自分は気が変になったのじゃないか」「御神示そのものを信じることができなかった」「神様を疑ってしまった」等の言葉を繰り出して、「自分も疑ったんだから/信じられなかったんだから」、これは本当に起こった出来事である、自分の作り話や幻覚・妄想ではない、と聞こえるように仕向けています。『神が特に自分を選んで、神示を下したのだ』という本人の主張と同様、これらも、本人による申し立てです。この本人は、救世教で「手かざし」には慣れていて、そこで幹部さえ勤めたという自分の過去の経歴を伏せてこそ成り立つようなことを平気で言っています。
ここで『敢然ス直に決起した』との初級研修用テキストの表現に戻りましょう。『御対談集』の光玉自身の説明によると、<最初信じられなくて、全然そんなことをする気にはならなかった、ぐずぐずしていた>筈なのに、そして中級研修用テキストでは「重大使命を深く受け止めることができなかったそうです」との記述があるのに、そこは無視して、このテキストでは、まるで「さあ、神示が降りた、よっしゃ、やったるで」と、即座に『ス直に』『敢然と』受けて立った、というふうに表現しているのです。
真光では教えがコロコロと変わる、と言われています。その上『犬への手かざし(=最初の手かざし)』の時期が大きく違う二説あったり、すでに他宗教の幹部までやって「手かざし」をしていた人間に、『神』が初めてその「手かざし」の業を授けるかのように、「手をかざせ」と命じる、本人も、この業は自分を通して初めて人類に許された業であると説く.....本当の出来事の臭いがしません。さらにこのように表現も変わり、内容にズレがある、というのでは、真光の言うことを文字通りに受け取れるのか、大いに疑問です。大事なはずの神の言葉や「地上代行者」であるはずの人物の言葉がこんなにルーズで締まり無く変わるのはどうしてでしょう。
物事を忠実に正確に表そうとする努力は見られません。忠実に正確に記すべき「物事」が実際にはなかった可能性も考慮に入れるべきです。真光では、事実はどうであれ、人をいかにして印象付けるか、言い包めるかに主眼があるようです。そのためには、響きが良いから、とか、真光に都合が良いから、そう言う、でもかまわないようです。人の気を引けばよいのです。あとで使うようになった言葉でも、最初からあったように見せたり、光玉の死後1978年に恵珠によって設立された崇教真光が、光玉の生存中からあったように表現したり、救世教時代に使った呼び名だったことを隠して、1959年に光玉という神名を神から与えられた、と宣言したり.....これが真光の体質でもあります。
「真光のまくばり、霊文明の暁を告げよ、光の玉の役をなせ、光玉と名のれ」との『最初の啓示』の別版は、良一(光玉)が用意したものなのでしょうか。良一が「自分と神との会話を現代語に訳す」〔『最初の啓示』<その九>『御対談集』p223参照〕と、このようにもなるということでしょうか。それとも、世界真光文明教団から分派して新たに設立された崇教真光では、「天の時至れるなり。起て、光玉と名のれ。.....」を示すのを躊躇して別版を作ったのでしょうか。今の崇教真光の初級研修テキストにはまだこれが載っているのでしょうか。まだあるのなら、「天の時至れるなり。起て、光玉と名のれ。...」の方に差し替えた改訂版を用意すべきでしょう。付け足しておくと、手元にある中級研修用テキストには、「天地一切神の声」が第一ページ全部を使って掲げられています。中級になれば、それだけ洗脳が進んでいるから大丈夫、ということなのでしょうか。
ーー火の鳥Phoenix3000