Wednesday, August 29, 2007

More on "Raise your hand" (te o kazase)

To all Japanese readers of this blog (or anyone else!):

Could you please help me find a 1974 (Showa 49) edition of Goseigen?

In my last post I talked about the fact that both the first edition (1970) and third edition (1973) of the Mahikari Goseigen (Japanese) do not include "raise your hand" (te o kazase). I have now noticed a footnote in a Nanzan Journal article by Peter Knecht which says that his Japanese edition of Goseigen, published in 1974, also does not include "raise your hand".

Unfortunately, Knecht does not include the exact date of publication or indicate who published this edition. Since Yoshikazu Okada died in June 1974, the exact date of this 1974 edition might indicate if these words were added in to the first revelation in Goseigen by Okada or by someone else.

Do you have the 1974 edition?

Do you know anyone who might have the 1974 edition?

Do you live near the Nanzan University library, or any other library that might have the 1974 edition of Goseigen?

If you do, would you please tell me the exact date of publication, tell me the edition number (it would be the 4th or later edition), and also tell me any other publication details (who was the publisher, who has the copyright, etc).

Of course, there may have been more than one edition published in 1974, so please also check to see if "raise your hand" (te o kazase) is included in the first revelation.

If anyone finds this information, please email me at the address shown in the blog header, or use the comment function to tell me the details. I will be extremely grateful for any information you can provide.

Thank you very much!
Anne

Wednesday, August 01, 2007

真光と皇室:「手かざしは皇室にお返しする」

An article by Phoenix3000 on the topic of Mahikari and the imperial family: "Returning tekazashi to the imperial family".        

真光にいた時、次の噂話を私も聞きました。参考資料の意味も兼ねて取り上げておきましょう。

 (ア)<真光の業を皇室にお返しするから、3代目は出ない>
    <火(霊)の洗礼がくるから、3代目のことを考えなくていい>
    と2つのことが教団幹部を通して、まことしやかに噂を流していた。

    しかし、教え主に代わって教示を書いていた八坂東明代理が表舞台に出て、教え主の養子となり、岡田こうやと名を変えて、事実上、3代目が現れたら、噂は、ぱったり無くなった。  ーー真光関係者集合(45)--361

単なる噂話だったと言って、軽く見過ごせないものがあります。次の書き込みも見かけます。

 (イ)崇教真光は二代目で終わりで、手かざしは皇室にお返しする。

   次に崇教を継承されるのは、大きな声では言えないが、皇太子殿下である。と、まことしやかに内部で噂話が流されていた。こんな事は、マトモな常識の持ち主なら「絶対にあり得ない」と気付きそうなものだが、私自身も周りの人達も単純に「崇教ってすごい」と感心して聞いていた。

   崇教の組み手なら、かなりの数の人が知っている噂話だ。もちろん幹部が流している。こういうヤバイ話を「崇教は絶対に印刷物にはしない」。
   証拠が残るからだ(同様にフリーメーソンの話も限られた人にだけマインドコントロールの道具として教え込んでいる)。

   その印刷物を持って組み手が「宮内庁」に問い合わせれば、嘘がすぐにバレ、宮内庁から抗議がくるだろう。崇教の「三代目は八坂(代理様)」という噂話が流れるようになってから、皇室が崇教を継承するという噂話はパッタリ無くなった。
   インチキ宗教とは、こういうものである。ーー大本系宗団の集い---291

「手かざしは皇室にお返しする」ということを聞いた時、(イ)の方とこの方の周りの人々と同じように、私も感心しました。「手かざし」は元々スメラミコトである天皇家の所有物であった、だからそれを皇室に返す、というのが岡田光玉(本名:岡田良一)の考えであったのだろうと思い、光玉の立教の動機は自己中心的なものではなく、純粋なもののようだと推測し、「わあ、真光の教祖って、潔い人だったんだなあ」と感心し、「そんなら、この教団は大丈夫かな」と思ったぐらいです。そんなことは「あり得ない」と気付きそうなものだと言われれば確かにそうなのですが、真光の世界にいると、虚と実とに対する感覚が狂わされてしまい、あり得ないことでも、真光が言うことなら、あった(のだろう)/ある(のだろう)と思わされてしまいます。信者は、光玉・教え主・教団幹部の言うことが「実」であるとの前提で物事を考えますから、真光の中に「虚」があるなんて、否、実は真光そのものが「虚」であるかもしれないなんて、考えもしないのです。で、私も「真光ってすごい」との感心の念を抱いてしまったわけです。その感嘆の念を踏まえて、次の書き込みと同様の疑問を持ちました。

 (ウ)私には......20世紀から21聖紀への転換のステップについて、いくつか疑問に思うことがあった。そのひとつが、「天皇家から崇教の三代目が出る、手かざしは天皇家に返す」が具体的にどういう過程を経るのかというものだった。皇族は20世紀末のこの時、何を思っているのか。間もなく大天変地異が来て、人類が2割に減り、生き残った人類による神主霊主文明建設があることを知っていて、真光とは内密に意志の疎通ができていて、いずれ教団に預けていた真光の業を返してもらい、スメラミコト家の流れを汲む自分たちが超古代のように神政政治を司ると思っているのか。それとも、大天変地異が来るとは夢にも思っていなくて、火の洗礼後に目覚め(?)、すっかり忘れていた真光の業を返してもらい、驚きつつ世界君主として立つことになるのか。

    真光は前者後者のどちらとも明示していなかった(と思う)。ただ、教団は皇室の覚えが良いということを匂わせていたことから、前者なのかと個人的には考えていた。神の名の元の秘密主義のようで、清々しくないと思っ た。....ーー崇教真光=人類救済を掲げる一大宗教でありまするーファイナル --483


「天皇家から崇教の三代目が出る、手かざしは天皇家に返す」が大天変地異と絡まって具体的にどういう過程を経るのかについて思い巡らしたのは私一人ではないことがわかり、この方の書き込みに感謝いたします。これも真光の「虚」に振り回された結果起きた疑問だったわけです。

光玉が世界真光文明教団を設立してから、50年近く経ちます。二十世紀末に起こると彼が予言して、信者を煽るのにあれほど使った『火の洗礼』という概念ですが、『人類が2割に減る大天変地異』なるものは来ませんでした。それだけでも、光玉とその真光には現実とのギャップがあることに気付いてもいいのではないでしょうか。今回の噂話の件にしても、かなりの数の人が聞いて知っているのです。現実と比べてみてもいいでしょう。

彼の設立した世界真光文明教団にしても、恵珠が文明教団の二代教え主の座につくことに失敗して、1978年に新たに設立した崇教真光にしても、手かざしは皇室にお返しする、という方向に動く気配は全くありません。現在文明教団は三代目、崇教真光は教え主恵珠の代理を立てています。〔注1〕そして、それぞれが、それぞれの教え主を『スの神の唯一正統な地上代行者である』と信者に強調します。教え主(及び教団)は、『天地創造のスの神』と直接接触があるように見せ、人類教、万教帰一、愛和一体、利他愛などといった、聞こえの良い謳い文句を表向きに用いつつ、働き蜂を抱えた女王蜂のように、信者の奉仕と奉納で、至れり尽くせりの生活を享受しています。「教団」ではなく、「人類」を本当に愛する『天地創造のスの神』がいるとしたら、この現状を見て、嘆かないのでしょうか。

今考えてみると、光玉は随分勝手なことを言っていますから、書籍の中では見つけられなくても、彼自身が15年の真光布教活動中、そういうことを言ったという可能性も否定し切れません。それを耳にした幹部・古い組み手がその話をする、それを聞いた幹部・組み手がまた...といった具合に伝わった、とも考えられます。もし世界真光文明教団のほうにはそんな噂話は全くなかったのであれば、これは崇教真光に限られた噂話だった、ということになります。

文明教団を引き継いだ関口派には、そんな内容の光玉のおしゃべりなど、必要なかったのかもしれません。しかし裁判で敗訴して文明教団を離れ、「崇教真光」を設立した恵珠派は、事実関係を問われれば、その正統性への根拠は極めて薄弱で、自分たちをよく見せるような策や言いくるめが必要だったのではないでしょうか。そう言えば、「恵珠は、三代目に橋渡しをする役目の、中間の教え主である。だから、その時が来るまで組み手はしっかりとその恵珠を持ち上げて行け」ということも耳にした覚えがあります。

「手かざしは皇室にお返しする」という噂話の出発点が光玉本人だったにしろ、幹部だったにしろ、光玉や教団(崇教真光)の印象を、一時的にでもよく見せ、それを聞いた信者をして「すごい!」と感心させたわけですから、真光にまつわる虚像の一部の役割を果たしたと言えるのではないでしょうか。

真光の世界では、とにかく『み役』が上の者、教え主以下幹部の言うことを、無批判にそのまま『本当のこと』として受け取る体制(真光で言う『ス直』〔注2〕)が出来ていますから、たとえ現実と矛盾していたって、以前説いていたことと違っていたって、こじつけだって、かまわないわけです。真光流に「本当らしく」聞こえればいいのです。教団側は、『曇りきった人類は神の御経綸を悟れないのだ』とか、『御経綸が変わったのだ』とか、『神事には奥の奥があるのだ』とか、『”ス直”に受け入れられないのであれば霊障である、精進努力が足りないのだ』とかの言い逃れが出来ますし、教団側が沈黙していれば、幹部・信者が勝手に教団に都合の良いように解釈してくれます。

「手かざしは天皇家に返す」がどういう過程を経るのかとの疑問に続いて、『経綸の変化』という言い訳についても(ウ)の方は回想しています。その部分も載せておきましょう。

 (エ)「崇教は二代で終わり、三代目は皇族から出る、手かざしはいずれ天皇家に返す」は月並み祭等で幹部から聞いていた(皇太子に関しての記憶がないのは、わたしの記憶のすり替えかもしれないというのは前述の通り〔注3〕)。それが、組み手を辞める数ヶ月前のことだった。道場で雑談していて、三代目は誰がなるのだろうというある組み手の疑問に、古い組み手が「昔、勉強会で皇族から出る(ここも私のすり替えか?)と聞いた。もしも違う人になったら御経綸が変わったと思って欲しい」と言った。ちなみにその場に幹部はいなかった。

    古い組み手の話をそうなのかと聞いて雑談は終わったが、何かしっくりしないものが残った。「三代目は皇族」というのは私も以前から聞いていたので、その点について違和感があったわけではない。では、何が問題なのか。

    あの時の漠然とした思いを言語化すると、こうなるだろう。「三代目が誰になるのかということが、もしも以前に言われていたことと違ってしまったら、そんな簡単に『御経綸が変わった』の一言で片付けられるものなのか。大変なことではないか。それも皇族だと言っておきながらなのに、どうして皆、平然としていられるんだ」

    天皇家から三代目が出るという世間から見た非常識さはともかく(組み手の常識は世間の非常識)、組み手、教団、人類にとって(笑)重大な予定変更が、こんなにあっさり見過ごされるのか。「御経綸の変更」の一言で自分たちで納得してしまう組み手の精神構造。これを奇異に感じた。かつての紀宮への手かざし記事〔注4〕のことも思い出し、ますます疑問は膨らんだ。そうは言っても、そこから更に進み、目をさますには、まだ時間がかかったのだった。ーー崇教真光=人類救済を掲げる一大宗教でありまするーファイナ ル--484


真光と皇室との、現実の世界での関係の有無をハッキリさせる次の書き込みがありました。

  (オ)信者だった頃、真光は、自分たちは皇室関係者と親しいと嘘ぶいていましたが、本当に宮内庁に電話して事実関係を確かめたら、

     「そんな人たちは知りませんし、皇室と真光は何の関係もありません。」

    と否定された。勝手に皇室にストーカーしていただけなのねぇ。    ーー救い主(教え 主)の実態 -13
  

結局崇教真光は「噂話」の形で皇室さえも利用したと見てよいのではないでしょうか。そもそも、「返す」ということは、元の持ち主があって、成り立つ行為です。この場合、『太古の昔』真光の業が皇室 とともにあったが、いつの間にか消え失せていた、それが、二十世紀の半ば過ぎに突如として、神が一人の男にその業を預けた、だから、元々あるべきところに返すのがふさわしいのだ、ということになるでしょう。しかし、この『真光の業』が、個々の主観的な体験と思い込みを基にした、根拠のない『業』であって、民間療法の「ちちんぷいぷい」の類いと大差のないものであれば、超太古に世界の統治者スメラミコトが所有していた『業』である、というのも、二重に荒唐無稽な話になり、そんなものを『返されて』も、そんなものに関連付けられても、皇室は大いに迷惑だということになるでしょう。

息抜きに次の書き込みも付け加えておきましょう。

   (カ)天皇家:天皇家は魔光の業なんて返してほしくありません。ってか、あげた覚えもありませんが。
      真光: 目玉商品の真光の業は死んでも返せません。だって教団がなくなってしまうもーん。偉そうなことを言っちゃったけど、実はそういうことなの。 ーーここが変!真光の本!--9      

ついでながら、紀宮は2005年11月に民間人と結婚して皇室を離れました。真光の信者は、彼女の周りを「ストーカー」して「私が手をかざしたから、こういう結果が起こったのだ」などという勝手な解釈は謹んで、お幸せに、との願いを込めて、彼女をそっとしておいてあげるべきでしょう。


〔注1〕恵珠の養子となった岡田晃弥(別名:八坂東明、手島泰六、等)が教え主代理として表舞台に立つようになっていることに関してですが、真光の思考枠を一歩出ると、<「神の地上代行者」であるはずの教え主が代行代理を立てるのは、どういうこと?ーー真光被害報告掲示版 --6258>との疑問もごく自然なものでしょう。

〔注2〕真光用語でス直とは、真光信者が教団のいうとおりに、善悪に関係なく、何でも<ス直>に聞くという魔語です。ーー真光関係者集合(45)- 33
    素直とは - 崇教の教えに疑いを一切持たず、教えを無条件で実行しろということ。 ーー 真光被害報告掲示版 -4565

〔注3〕今考えているのだが、私は「三代目は皇族から出る」だけでなく「大きな声では言えないが皇太子殿下がそうなのだ」というのも聞いていたのではなかろうか。それが、状況により「皇太子」が変わることもあり得るので、その折々の皇太子の「立場」のほうがなるのか現在皇太子である「その方」がなるのかと考えてしまい、どちらにしても間違いのないように「皇族から出る」だけを覚えていたのではないか。記憶のすり替えとしてあり得ることだと思う。(と、自分の記憶に関しては慎重に言っているのだが、2ちゃんねるのログでも「皇太子と噂していた」との発言はある。  ーー崇教真光=人類救済を掲げる一大宗教でありまするーファイナル -     482

〔注4〕紀宮への手かざし記事について:真光誌に載った体験談(組み手が紀宮へこっそり手かざしをしたというもの)---真光誌365平成5(1993)年2月号P80−81「紀宮様のご案内役を拝命」ーー崇教真光=人類救済を掲げる一大宗教でありまするーファイナル --482


ーー火の鳥Phoenix3000