Friday, June 23, 2006

真光の祖師が受け取ったとする『最初の啓示』につ いて ー  その真偽  <その三>

Thanks again to Phoenix3000. Here is more information concerning that first revelation in the Sukyo Mahikari Goseigen. I hope to get either a translation or a summary in English for those of you who don't read Japanese...eventually!


(2)の「手をかざせ」にもどります。

「真光関係者集合 (40)ー166」によると、 光玉の『最初の手かざし』は、昭和48年頃の教団 発行(陽光文明研究会)の『生と死』では、終戦直 後となっている、とあります。
『崇教真光30年史』66頁の<ふとしたことから 手をかざして、瀕死の犬を救った>との話も、戦後 間もなくのことのようですから、光玉の最初の手か ざしに関して両者は時期的には似ていることになり ます。
さらに、『最後の岩戸開き』では、もっと劇的な表 現で、崇教真光のこの路線を固めようとしているよ うです。

    八坂東明著『最後の岩戸開き』(1997) で、終戦直後に、「手をかざせ!」という姿無き声を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、 びっくりした岡田師は謎を解明する為に必死で心霊 科学から、宗教や超心理学の研究に参入したそうです。  ーー 真光関係者集合(40)−166 上記の『生と死』に関する部分と同じく、真光信奉者の書 き込みだと思われます。

この本の著者の八坂東明はネットの情報によると、 崇教真光の三代目の教え主岡田晃弥(晃祀)と同一 人物で、別名手島泰六、恵珠のゴーストライターで あると噂のあった人物だそうです。
この人によると、光玉は終戦直後に「手をかざせ」 という『姿無き声』を聞いて手をかざしたら奇跡が次々に起こって、びっくりした、ということです が、これは、『御対談集』の光玉自身の話と明らかに違っています。

   たしか昭和34年の2月27日ですが、私の家の神様を拝んでいたら、大きな声で「光玉と名のれ。きびしき世となるべし」という声が聞こえたのです。. . . . .(略). . . . というんで「光 玉」と名のった。それから「手をかざして人の病気を治せ」と言われるでしょう。私はは じめ、自分にそんな聖者みたいな真似が出来るのは いくら馬鹿でも考えられない。そんなことを考える のはそれこそ気違いだ。待てよ、借金返しに夢中で 自分は気が変になったのじゃないか、ひょっとしたらキツネかタヌキに憑かれたんじゃないかというわけで、一週間くらいは立ち上がる気は全然し なかった。ところがふと犬に手をかざしてみたら犬 の病気が治っちゃった。それが始まりで、人の頭がいたいというのでやってやるとスッとしたと言う。  ーー 『御対談集』 280−281頁

崇教真光が嘘をついているのでしょうか。それとも 光玉が『御対談集』で客に対して嘘を言ったのでしょうか。
ちなみに私が組み手だった時聞かされていたのは、『最初の手かざし』は、「終戦直後」や「戦後間もなく」ではなく、『最初の啓示』の後でした。従っ て犬への手かざしも『最初の啓示』の後でした。
参考のためにもう一カ所見てみましょう。

   さっきも言いましたように私は十五年前に、神様から「光玉と名のれ。厳しき世となるべし」と言われ、「手をかざせ」と言われた。説明すれば、今 の人類の想像も出来ない世の中に変わるぞという御 神示があった。しかし私も飛行機会社の社長 をしていたくらいだから、一通りの科学的常識はあ るんで、まさかこんな事をやってあらゆる病気を治 せる力を出せるといわれても到底信じられない。キ ツネかタヌキに騙されているのかな、と思った。
   そんなバカな事が出来るかというわけで、私、 最初は立ち上がる気がしなかった。何といっても常 識で判断するでしょう、科学的常識で。ところがど うしてもやらなきゃならんような現象にどんどん 追っかけられてきますから、しょうがない。 実際は追い込まれたようなもんでしょうね。それで手をかざしてみると、相手が治っちゃうんだから しょうがないのです。ーー 『御対談集』286頁

上記の光玉自身の話は『30年史』(そして『最後 の岩戸開き』)とは全く一致しません。
『犬 への手かざし(=最初の手かざし)』の時期が 大きく食い違っているだけではありません。『最初の啓示』の以前に手かざしをした人間、そしてそれ を契機に神や神霊の世界を研究した人間が、昭和34年の『最初の啓示』で命じられた「手かざし」をとてもではないけど信じ られなくて初めはやらなかった、やるように追い込 まれた、というのは辻褄が合いません。

昭和34年の『最初の啓示』以前に、「手をかざ し たら次々に奇跡が起こって、びっくりし、謎を解明 する為に必死で心霊科学、宗教、超心理学の研究に 入った」人物が『最初の啓示』を受けて、「まさか こんな事をやってあらゆる病気を治せる力を出せる といわれても到底信じられない」と言うでしょう か。ここでも辻褄が合いません。

終戦直後(または終戦後間もなく)ふとしたことか ら手かざしをしたという、崇教真光の描く「光玉」 像と、昭和34年の『最初の啓示』で『手をかざ せ』と言われて困惑する、彼自身が描く「光玉」像 とがこんな風に違っていてよいものでしょうか。

彼自身が描く「光玉」像では「手かざしなんて、初 めて聞く」といった印象を前面に押し出しているわ けですが、このような態度は何をねらったもので しょうか。
自 分の真光を、他宗教から独立した独自の教えに基 づくものとして出発させたかったのだと思われます。それには自分の救世教との関わりとそこで浄霊 をやっていた事実は邪魔だったので、その経歴を葬 り去って、宗教上では過去を白紙にし、既成宗教と は何の関わりもなかった自分、つまり、「宗教の素 人」であった自分に、突然神から正法の教えと真光 の業が与えられた、という設定で始め、それを公の主張にしたわけです。 もし本当の経歴を最初から 正直に真光の出版物で内外ともに公にしていたら、どうなったでしょうか。いくつか挙げてみます。

1  「真光の業」は救世教の「浄霊」からとった ものと最初から皆にわかり、「真光の業」の新鮮味がなくなり、有り難みも失せる。
2  『あらゆることが逆法』の世の中に、『人類に初めて許された真光の業』と『史上いかなる聖雄聖者にも伝えられなかった神理正法』を突然授けられたとするその対比の効果が失せる
3  『御み霊』も「浄霊」のペンダントからヒントを得ている、とすぐにわかってしまう。
4  救世教の教えと真光の教えとを簡単に比較されてしまう。そうなれば、光玉の教えはかなりの部分が救世教からとられたもの、と即知られてしまう。
5  光玉は『宗教の素人』である、と主張できな くなる。そして、一信者どころか、幹部だったことまですぐ知られてしまう。
6  救世教の信者だったことを公に知らせたので は、真光に興味を持った人のなかには、教祖の元の宗教を知ろうとして、救世教のほうへ流れる者も出 て来る。信者獲得に不利。
7  救世教における『霊動』への取り扱い(危険 なものであるということ)がすぐに知れてしまう。
8  救世教のもとである大本教で、『霊動』で信者が狂乱状態になった出来事も追跡されてしまう。
9  救世教での光玉の経歴上の汚点が簡単にばれてしまう。(救世教の方針に反して、『霊動』に興味をもって追求したこと、幹部の職を解雇されたこ と、及びその理由)
10  岡田茂吉に与えられた『神示』と、光玉の最 初の『神示(啓示)』を即比べられてしまう。 
11  光玉の名は、昭和34年の『最初の啓示』の 時に神より与えられた新たな神名ではなく、救世教時代にすでに「光玉先生」とよばせていたことがわかってしまう。『最初の啓示』の『光玉と名のれ』 に影がさす。
   (ちなみに、浄霊協会によると、神は救世教 の岡田茂吉のおなかの中に救いの力を持った光の玉を与えたのだそうです。そして、昭和25年、この光の玉に最高神が直接宿られたそうです。
    『御聖言』ー天地一切神の声ー24頁の 『神理のみたま、汝の**に入 る。. . . . . . . . 光玉と名のれ』と比べてみて下さい。)

結 果として、突如神示が降りたとする本人だけの主 張は、「手かざし」の強調と、それが誘発する『霊 動』現象に支えられ、その真偽を表立ってチャレン ジされることなく、立教後40年近く、安泰を享受していたと言えま す。真光出版物には光玉の救世教所属のことが述べ られていないために、確固とした追求がなされず、 ジャーナリストの中にさえ、教団(特に崇教真光)の主張をそのまま受け入れて記事にしている者もいるくらいです。簡単に言えば、経歴隠蔽にはそれなりの効 果があったわけです。

予備知識なしに『手かざし』『霊動』を目撃、体験 して、一旦「不思議なことがあるものだ」と思ってしまうと、光玉(及び真光)の説明を鵜呑みにする土壌が出来てしまい、真光の業が、神、霊魂、憑依霊の実 在を証明するものと思い込んでこの世界にの めり込み、それから、「光玉が救世教の信者だったんだって」と耳にしても、意識の中のかすかなささ やきにしかならず、「だから、どうした?」と意識の隅に簡単に押し込んでしまいます。
  
  「今までの逆法の世の中に、それこそ初めて正 法の教えと業をいきなり出して、それで大して叩かれもしないうちに伸びてしまった。」 ー真光誌2 86−昭和61年(1986)7月号 31頁

と光玉に言わしめてもいます。

光 玉及びその真光の主張だけ見ると、「そうか。大変だったんだなあ。」と思うかもしれません。けれど、この『正法の教えと業』は、すでにあった救世 教の教えに真の道、生長の家等の教えをブレンドしたものと、浄霊の手かざしからとった業であるというその流れがわかると、当時天からいきなり降って湧いた ものであるかのような光玉の主張は事実にそぐわなくなります。『それこそ初めて正法の教えと業をいきなり出して』との表現は、経歴隠蔽があってこそ成立す る表現なのです。

光玉の救世教所属の事実を認めず、否定しさえした 崇教真光が、いまさらこの事実を公に認めて、『最初の啓示』が作り出す、『奇しき出来事』であるとのイメージ効果を投げ捨てるとは思えません。

ーー 火の鳥phoenix3000
 

Sunday, June 18, 2006

More on Dr. Shioya

I've not managed to find much in English about Nobuo Shioya (see previous post), but if you click on the links labeled English 1 and English 2 on this site, you can read about the health technique Shioya has been promoting recently.

Note: As you will see from the comments below, I did not realize when I originally wrote this post that there is a rather serious mistranslation in the English pages linked to above. The title of one of Shioya's book is translated as "Health, Long-life and Euthanasia" on that site. However, I've just checked with pheonix3000, and "euthanasia" is definitely a mistranslation...apparently, the word for euthanasia sounds the same as this part of the title in Japanese, but is written with different kanji. The real meaning of this part of the title is something like "gentle and easy death".

When I wrote the Tenjou post a few months back, I was not sure if this was the same man as the one who provided Okada with the explanations concerning the role of Yo (as stated in Mahikari primary kenshu), but it seems it is the same man.

Back in the late 40s and 50s, Shioya was very active in psychic research and various psychic/spiritual divination techniques. For 8 of those years, he "received revelations" from the Oomine Rousen "guiding spirit". Shioya was co-founder of Makoto no Michi, a group which practices what they call "manate"...basically tekazashi without the omitama.

I'm still trying to find out exactly how much Shioya influenced Okada and the shape of the Mahikari organizations. Still, since Okada clearly relied on Shioya's explanations concerning his all-important role of Yo, we know there was at least some influence.

So, half a lifetime later, what is Shioya doing? Is he still promoting healing from the hands, revelations, etc? No. These days he is promoting a breathing technique (to increase the supply of oxygen to the physical cells) and use of positive affirmations. Doesn't that tell us something?

Monday, June 12, 2006

Role of Yo and the Mahikari name

Does anyone have access to copies of the Mahikari magazine that Okada published in the early days of Mahikari?

According to some posts on Mahikari-related Japanese discussion sites, there are a number of references to Makoto no Michi Kyoukai in these early Mahikari magazines. I would be very curious to see exactly what Okada had to say about Makoto no Michi Kyoukai, since it sounds like there was a close connection between Okada and this group over the years leading up to, and for a number of years after, the start of Yokoshi Tomo no Kai (the original name of Okada's Mahikari organization).

The information posted by various people on the Japanese discussion sites is second-hand information, so I am looking for material that would verify that information. According to this information, Dr. Nobuo Shioya was co-founder of the Makoto no Michi religious group, established in 1948, but Shioya and his followers established a split-off group called Makoto no Michi Kyoukai in 1955. Shioya's group included ex-military people and strong right wing elements, and also included Kafū Nakada (at whose place the tenjo investigation of Okada's soul was performed in 1960).

Apparently, members (who were known as "kumite") were each assigned the role of one of the 50 Japanese syllables. Some sort of divination technique was used to assign these roles, and Okada was assigned the role of ....you guessed it!....the role of Yo. The Japanese posts say that Okada was some sort of group leader within Makoto no Michi Kyoukai, and his group was called the "Mahikari" group. Apparently, there is a photo of this group in one of the Makoto no Michi Kyoukai publications...I'd like to see that too!

Apparently, the March 1962 edition of the Makoto no Michi Kyoukai magazine, in an article concerning one of their ceremonies, reports that one of the people attending was Koutama Okada, and he was identified as being a "role of Yo" person and leader of the "Mahikari" group. I would really like a copy of this magazine too! You'll notice that this article was published a year and a half before Okada changed the name Yokoshi Tomo no Kai to Sekai Mahikari Bunmei Kyoudan. In other words, at this stage, Okada's organization was not yet known as "Mahikari".

I've not seen any mention of Makoto no Michi Kyoukai in any Sukyo Mahikari publications, but the leader of this group, Nobuo Shioya, is mentioned in kenshu as the man who provided Okada with the explanation of the role of Yo, and kenshu mentions that Shioya obtained this information in revelations from Oomine Rousen. As noted in the Tenjou post some months ago, Oomine Rousen is not a real person. He is a spirit who supposedly transmitted information via seance-type rituals and via tenjou automatic writing techniques to Shioya and other Makoto no Michi and Makoto no Michi Kyoukai people. It seems this spirit was quite popular amongst psychic research groups in Japan in the late 40s and 50s.

I've not managed to find much information about Makoto no Michi Kyoukai itself, but the Shinto dictionary has this to say about the parent group, Makoto no Michi: The movement actively undertakes seances and rites of spirit possession, as well as performing other religious practice.

According to the Shinri Kenkyuukai web site, one of the so-called revelations Shioya received from Oomine Rousen concerned a major "convulsion of nature", which was due to peak between the year 2000 and 2005. I've not had time to research other "revelations" from Oomine Rousen yet..and I'm busy with other things for the next few weeks...but I can't wait to see what else might look familiar!

As you can see, this research is still in progress. Please contact me if you can add anything to the above, or if you can confirm or correct any of it. Thanks!

Tuesday, June 06, 2006

Confirmation that Okada was an SKK kanbu

A couple of days ago I stumbled across the Encyclopedia of Shinto website, published by the Kokugakuin University. This appears to be a work-in-progress, and they are currently adding articles to the section Schools, Groups, and Personalities.

About 2 weeks ago, entries were added for Sūkyō Mahikari and Sekai Mahikari Bunmei Kyōdan . The SMBK entry confirms what we already knew - Okada was a kanbu in SKK before founding the Mahikari organization.

Even though I think most former members already believe this fact, the Sukyo Mahikari organization continues to deny that Okada was ever an SKK kanbu, and I suppose most current members believe that denial. The Winston Davis book contains this fact. Greenwood's book and the Exposed site both report the testimony of older SKK members, according to which both Okada and Keishu were members of SKK for about 10 years, and Okada was head of an SKK branch. However, current members perhaps consider that these sources involve bias. Therefore, it is useful to have this fact confirmed by an independent academic body.

In my view, the crucial point in any discussion of Okada and SKK is not so much that he was involved in another religion before starting Mahikari, but that deliberate lies have been told. If you've not seen it already, the letter in which Mr. Tomita (writing on behalf of Keishu) denies that Okada was a member of SKK can be viewed here.

Incidentally, we now also have an up-to-date indication of size, as the Sukyo Mahikari article gives a "nominal membership" figure of approximately 490,000.

This encyclopedia looks like being a rather useful resource. Each article is brief, but they do provide information, not otherwise readily available in English, concerning post-war religious groups and leaders. Keyword searches can be for words in "Heading Only" or "Heading & Text".

If you browse through various of the "new" Japanese religion articles you will get an idea of the post-war religious climate in Japan and the prevalence of revelations and healing rituals. You'll notice a number of features similar to those of Sukyo Mahikari, particularly in the numerous offshoots (and offshoots of offshoots) from Omoto and SKK. In many cases, the founders of these religions originally belonged to one of the other "new" religions before they (or their faction) left to form a new group.

Here are just a few of the recent additions to the site:
Seichō no Ie
Shūkyō Hōjin Byakkō Shinkōkai
Jieidō
Subikari Kōha Sekai Shindan
Makoto no Michi

This last link is rather interesting (but I wish the article had more detail!). Makoto no Michi is the group who conducted the tenjo investigation of Okada's soul, and Nobuo Shioya is the person who received revelations from Omine Rosen concerning the meaning of the role of Yo (as stated in Sukyo Mahikari kenshu textbooks). Since it is starting to look like this group played a major part in the shaping of Okada and his teachings, you might want to look at this short article!

Monday, June 05, 2006

PS re the new Mahikari Basics site

Yesterday I published a post announcing the new "Mahikari Basics" site intended specifically for people who want information that will help them decide whether or not to join Sukyo Mahikari. For those of you who missed it, the URL is:

http://mahikaribasics.bravehost.com/

A sincere but belated "Thank you!" to the people who contributed to the site content and design...you know who you are!

For those of you who might be wondering, this blog will continue to function as a place for former members to discuss issues that affect them, and to pool information concerning the origins of Mahikari, control mechanisms, etc.

In time, I hope the information submitted from various readers, and the discussions on this blog, will lead to clarification of the true history of the organization. Eventually, I hope to add a new section to the Mahikari Basics site which will deal specifically with the history of the organization. Historical details may not be so relevant for potential new members, so I envisage that this sort of material would be in a separate former-member part of the website.

Thanks again to all those who contributed to the new site!

Sunday, June 04, 2006

Mahikari Basics - new site

I've just launched a new website designed specifically for people who are looking for information to help them decide whether or not to join Sukyo Mahikari. It's called "Mahikari Basics" because...well, it's an overview of the basic sort of information that I think people will want to know in those circumstances.

You will recognize some of the material from other sites (some has been slightly rewritten to suit the intended audience). Other material was written specifically for this site. I tried to keep each section fairly brief so that it would be easy for readers to get a quick overview of the main Mahikari issues, but I also embedded links to other sites where more detailed material can be found.

The site URL is: http://mahikaribasics.bravehost.com/

Anyway, do have a look and tell me what you think. All constructive criticism gratefully received!